「嫌韓を病」とする病


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※「嫌われて当然」の言動しかしていないのは事実。


先週「嫌韓」特集記事で炎上した週刊ポストが今度は


「『嫌韓』と言う病」


と言う真逆の立場の記事を掲載した。「言論の自由」を尊重し、また「公平を期す」べく行った対応、とも受け取れるし、単純に「炎上騒動の反省」とも受け取れるだろう。


そう思って読んでみたこの記事、実に唖然とする内容だったのだが、敢えてこの様な記事を掲載し、


「『嫌韓』批判する立場の主張の愚劣さ」


を強調する意図がそこにある、と言うなら週刊ポスト、中々の曲者だと言えそうだ。


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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190907-00000013-pseven-soci&p=1

 

週刊誌やその他の雑誌をはじめ、ネットでの言論などには確かに「嫌韓」を主張する内容の言論は多数存在する。勿論それに反対する立場から意見を発信する自由、と言うのは保証されなくてはならないし、その様な「相反する意見」をぶつけ合って行くことで「より良い意見」が生まれ出る事も考えられるが、「反嫌韓の」の立場を代表する意見がこの程度、と言うなら残念ながら「てんでお話にならない」と言える。


そもそもこの記事がおかしいのは


「『嫌韓を病』と断じておきながら「嫌韓」論説が大量に出回る原因」


について何ら考察を示していない事である。それ以前に「嫌韓の定義」と言う部分からして考える必要がありそうだが、「韓国を批判する一切の言動」を「嫌韓」と言うなら


「何故その様な言動をする日本人が多数出現したのか」


を考えなければ根本的な問題解決には決して繋がらない。だが、「嫌韓」を批判する立場の人間の多くがここには触れようともしない。

 


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※韓国シンパが決して正面から反論しない部分。


この記事でも


〈国と国との関係にせよ、人と人との関係にせよ、どちらかが一方的に悪いなんてことがあり得ると思っているとしたら、大人としてあまりに浅はか。昨今の出来事にしたって、どうひいき目に見ても「どっちもどっち」〉


と、評しているが、それはあくまでも「同じ土俵に立っていれば」の話である。昨今の日韓対立を見れば明らかな様に自衛隊機への火器管制レーダー照射事件では嘘出鱈目な主張を公式会見で行い、日本に責任転嫁しようとした。慰安婦合意については日本に何ら落ち度はないにも関わらず、韓国側が一方的に「合意の骨抜き」邁進しているだけだ。所謂徴用工問題での判決はどう見ても「国際法を無視した一方的な異常判決」以外の何物でもないし、輸出管理体制見直しで韓国を格下げしたのにも「それなりの根拠と理由」と言うものは存在し、それは公開されている。


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※正当性を全て論証出来るのか?「嫌韓」を批判するのはそれを行ってからだ。


要するに日本側の主張、と言うのは「国際法や国家間の合意」と言ったれっきとした根拠があり、それに基づいてなされているが、韓国側の主張に「そういう要素」はない。言い換えれば「合法VS違法脱法無法」と言うのが「日韓対立の構図」であり、それを「同じ土俵で論ずる」事自体が根底から間違っている。「嫌韓」を主張する記事やブログでの主張の多くも同様に「それなりの客観的な根拠」に基づいてなされているものが大半だ。確かに中には「根拠のない感情論」としか思えない様な主張も散見されるが、先の週刊ポストの記事で槍玉にされた


〈韓国人の性格を扱った「10人に1人は(精神障害の)治療が必要」〉


と言う行は

 


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https://twitter.com/KadotaRyusho/status/1169058301146845185?s=19

 

韓国の医学会の発表した論文が根拠で、ポストはそれを報じた韓国メディア・中央日報の記事を引用して論評しただけに過ぎない。それがどうして「韓国を貶める」「韓国や韓国人への差別やヘイトを助長する」事になると言うのか?この手の記事に「欠けている論点」として


「客観的な根拠に基づく主張がどうして差別やヘイトの助長に繋がるのか」


と言う点の論証が皆無である事が挙げられる。


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※この写真の比較から「日本の過酷な植民地支配の根拠」を挙げて貰いたい。


歴史認識一つ採って見ても「日本の主張を裏付ける証拠や史料」は幾らでも存在するが、「韓国側の主張を裏付ける証拠や史料」など見た試しさえない。それでも「嫌韓」を批判する立場からは「韓国側の主張」を是とする見解が出る。主張するだけなら誰でも出来る事だが、せめて客観的な判断が出来る様になってから物を言うべきであって、それが出来ないにも関わらず主張だけする、と言うのは「無責任」であり、「言論の自由」「表現の自由」の濫用だと言える。この記事を書いたコラムニストが何様であろうが、所詮は「その範疇」に収まってしまう。それで「嫌韓論者を論破」した気分になっていると言うなら相当に「おめでたい思考回路の持ち主」であろう。


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※「嫌韓」を批判する人は決して韓国の「反日ヘイト」を批判しない。


また、不思議な事に「嫌韓」を批判する立場の人は韓国で行われている「反日ヘイト」を批判する事はない。「日本人が韓国を差別する」事は声高に批判する割に「韓国人が日本を貶めたり差別したり、また明らかな『ヘイト』行為」を目の当たりにしても何ら声を上げない。要するに「日本人が韓国を貶める、もしくは批判する」事は絶対に容認しないが、立場が逆になれば「少なくとも黙認」している訳だ。その時点でそういう人間は「消極的に『差別に手を貸している』」のと同じ事なのだが、当人達が最もその意味を理解していない。

 

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※この手の論者の主張などその程度。


この様に事の本質を理解しない、または出来ない。そしてこの記事の様な低レベルな主張しか出来ない、それで世間の賛同を得られると思っているなら思い違いも甚だしい。そもそも「韓国を好きになる自由」があるなら「韓国を嫌いになる自由」だってあって然るべきなのである。それを認めない時点でこの様な手合いの連中は「自由」の意味を理解していない「哀れな連中」である。そんな論説に耳を傾ける価値など一切合切ないが、そういう主張が罷り通る事自体が「日本の言論の危機」だとも言えるのである。