安倍首相と枝野幸男の実力差

※安倍首相と枝野幸男では役者が違う。
 
臨時国会が召集され、安倍首相の施政方針演説に対する代表質問が行われた。枝野幸男野党第一党党首、そして今回から「野党統一会派」を結成して
 
「打倒安倍政権」
 
と言う意気込みで代表質問がに臨んだ模様だが、その結果は惨憺たるもので
 
「安倍首相との役者の違い」
 
まざまざと見せ付けられる結果に終わった模様だ。
 
 
・関電への資金提供問題
・あいちトリエンナーレ関連
・消費税増税対応
 
を「三点セット」として政権を追及する目論見だった様だが、関電関連では役員らに渡された金品を
 
「原資は電力料金か税金に由来する『原発マネー』そのもの」
 
と追及したが安倍首相は
 
「震災後に担当大臣として原発再稼働でご苦労された枝野代表」
 
と、切り返す余裕ぶりだった。安倍首相が指摘する通り枝野幸男東日本大震災当時官房長官で、また経産相として原発の再稼働に関わっていた事は紛れもない事実だ。だが立憲民主党は「脱原発」を掲げている訳で、例えその時の経験が枝野幸男の考えを変えたのだとしても安倍首相にそれを蒸し返されるのは面白くはあるまい。場外観戦している立場から見れば「ブーメランの予感」しかしないやり取りだとも言え、牽制のジャブとしては十分過ぎる。
 
※そう言う前に自分達への批判に耳を塞ぐ姿勢をどうにかしてはどうか?
 
「あいちトリエンナーレ」の件で枝野幸男はこの様に述べた。言葉だけ見ればその通りだと言えるが、補助金不交付の決定は内容以前の「要件不備」によるものと説明はされている。また、再展示されるとは言え、

※このアンケート結果に対する枝野幸男の見解は?
 
週刊文春のアンケートでは実に「4人に3人が慰安婦像の展示に反対」と言う結果が既に出ている。それだけの人を「不快な思いにさせる」様な展示を「表現の自由」を口実に押し通す「どんな正義がある」と言うのだろうか?僅か4分の1の賛成為に残りの人々を不快な思いにさせる事は
 
「最大多数の最大幸福」
 
と言う「民主主義の原則」に反する行為だ。それについて「民主党」と言う名を自党に付けている枝野幸男の見解を聞いてみたいものだが、
 
「看板に偽りあり」
 
と言う結果になるのは目に見えている。
 
安倍首相は
 
※巧妙な切り返し。
 
この様に鮮やかな切り返しを見せたが、枝野幸男は以前も安倍首相が同様の答弁を行っていた事を既に忘れているのだろう。やはり野党に「成長」と言う要素は期待出来ない。
 
それは2016年2月衆議院予算委員会での事。
 
「言論機関が権力者の意向を忖度し、権力者への批判を控えるようになるのではないか」
 
「現に今も安倍政権に批判的なテレビキャスターやコメンテーターが次々と番組を降板している。民主主義の健全な発展にもマイナスだ」
 
等と「自民党改憲草案」を批判・追及したのは当時民主党議員だった階猛だった。だが安倍首相は
 
「今日、帰りにでも日刊ゲンダイを読んでみてくださいよ。これが萎縮している姿ですか」
 
「現在、まるで言論機関が萎縮しているかのような表現があったが、全くしていない」
 
「全く萎縮していない。むしろ言論機関に対して失礼だ」
 
と、切り返し、議場は爆笑の渦に包まれた。
 
この間3年半以上の歳月が経過しているが、民主党民進党になり、立憲民主党国民民主党に分裂し、そして再び統一会派を結成し、「ほぼ元の鞘」となった。その間、良くも悪くも同様の答弁で切り返され、ネット民から大ウケされている時点で
 
「この連中の質問のレベルは上がっていない」
 
と言う実態が浮かび上がってくる。民主党政権の終焉から間も無く7年となるが、3年どころかそこからも「まるで成長していない」と断言していい。そんな体たらくだからこそ
 
増税を公約に掲げた与党に選挙で勝てない」
 
と言うある意味「政党としては最大級の屈辱」を受け、安倍首相の超長期政権を許しているのだが、立憲民主党の脳味噌ではその意味を理解する事は出来ないのだろう。
 
野党として与党を批判したり、反対意見を述べるのも、また注文を付けるのも自由だが、最低限彼我の実力差は認識してから言うべきである。枝野幸男は総理大臣の椅子を狙っているのだろうが、現状では安倍首相と比べても実力差がありすぎて話にならないレベルだ。そういう理解がないからこの様なコッケイナ結果になるのである。
 
「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」
 
枝野幸男への教訓である。