逆ギレ岡田克也

※そんな事言ってる様では万年野党確定だ。
 
八ッ場ダムが「台風19号の豪雨の被害軽減に貢献したのか?」と言う議論が盛んになってきた。ダムを建設する目的の一つに「治水」と言う要素がある事は間違いないので、事実を基に検証して今後の防災、減災対策に役立てる事は意義があると言える。議論に参加する形式は「政治家が国会や当該地域の議会で議論する」のも「一般人がネット掲示板Twitter、ブログなどで発信し、その意見に対してコメントを寄せる」など、極端な事を言えば何でも良く、要はその中で「最も現実的で多くの人の賛同を得られる対策」が採られるかどうかが問題であると言える。
 
だが、そんな議論に水を差す様な発言をする政治家がいる、と言うのはその存在そのものが「防災・減災対策の議論に無用」だと言える。その政治家とは岡田克也の事である。
 
 
16日の参院予算委員会で、松山政司元科学技術担当相が八ツ場ダムについて
 
「(旧民主党政権が掲げた)『コンクリートから人へ』というかけ声のもとで、紆余曲折を経てきた」
 
と、発言。岡田克也はそれに反論する形で
 

「的外れだ」

「1つの事例を捉えて大規模ダムの建設を正当化するのは当たらない。それならば、すべてスーパー堤防にして、全部ダムを作ればいい」

等と記者団に答えたと言うが、その認識からしておかしい。

※だから成長も反省もない。それが民主党政権の残党。

八ッ場ダム等の利根川水系ダムはカスリーン台風による洪水被害を教訓に東京や利根川流域を洪水被害から防ぐ為に計画された。だが、吾妻川の水質の問題で当時の技術では吾妻川にダムを建設する事は出来なかったのだと言う。代替地検討されたが、そこでもダムの容量や水没物件等の問題があり、計画が中々実行出来なかった経緯があると言う。

それでも建設に向けて動いてはいたのだが、民主党政権が誕生してしまった途端、「建設中止」となってしまった。結局建設を再開させたのも民主党政権だが、簡単に八ッ場ダム建設に関する経緯を見るだけで相当な紆余曲折があった事は否応なし理解出来る。勿論それは「100%民主党政権の責任」とは言えないが、民主党政権が「建設中止、そして再開」と言う「紆余曲折の一端」に関わった事はどこからどう見ても否定しようのない事実であり、それを自民党に指摘されたからと言ってムキになって反論する程の事でもない。岡田克也からすれば自身も民主党政権要職を歴任してきただけに「民主党政権の失敗」指摘されて反論したくなる気持ちは判らなくもないが、その民主党政権は「どこからどう見ても失敗」以外の何物でもない。実際に民主党政権に関わった立場からすれば「外野がどう言おうが自分達はそれなりに頑張った」とでも言いたいのだろうが、これ程国家国民を不幸にした政権は憲政史上存在しないし、これからも出現する事もないだろう。岡田克也に限らず、民主党出身者は「民主党政権批判」への反論ではなく先ずはその事実を認め、反省と改善を明確にした政策を打ち出すべきである。それこそが「再生への第一歩」なのだが、それが理解出来るのであればそもそも現在「民主党」流れを汲む政党など存在する筈もない。政権の中核にいた岡田克也でさえ、それを理解していないのだから、「政権交代」など「夢のまた夢」であり、岡田克也が与党の重鎮となる事も「未来永劫ない」と言える。

それでいて

「すべてスーパー堤防にして、全部ダムを作ればいい」

なんて言うのは「逆ギレ」レベルの「幼稚な発言」でしかなく、同時に「民主党政権のレベルの低さ」「岡田克也自身の器の小ささ」を証明したに等しい。

洪水被害が一旦発生してしまうとどうしても人的被害は避けられない。防災・減災対策において「人命の安全」は最優先かつ永遠のテーマだが、民主党政権でダム建設やスーパー堤防を取り止めたのは

「人命<カネ」

と言うのが本音であろう。そうでなければ八ッ場ダムスーパー堤防工事を止めたりはしない。

「治水」とは読んで字の如く「水を治める」事で人々の命や暮らしを守る事である。それが出来た者が大陸では「王」となった。そういう意味では治水は「政治の基本のき」であり、それは今も昔も技術の進歩はあってもそう変わらない。それを理解していないどころかこの様な姿勢を見せる政治家にはそもそも政治に関わる資格などないし、そんなのがトップになってしまう政党など「無用の長物」以外の何物でもない。民主党政権が失敗、というか「悪夢そのもの」だったのはそういう意味では必然だったのだ。決してこの連中に政治を任せてはならない。