立憲民主党の暴挙

※しかも産経の記事だけこの写真の更に下。
 
立憲民主党が国会内で「言論弾圧」としか受け取れない暴挙を仕出かした。
 
3日に行われた衆議院予算委員会での質疑を取り上げた新聞各紙の記事を論評して控室ドアに掲示。野党による「桜を見る会」関連の追及を取り上げた記事には「100点」とか「花丸」を付けて評価した一方、与党議員の指摘を取り上げた記事には「0点」「×」「論外」「出入り禁止」「くず」等と付けて掲示。それだけでも「言論の場」である国会内で「言論の自由」を踏みにじる暴挙と評価するに十二分だが、同時に「立憲民主党のダメな所」を存分に自らの手で証明したと言える。
 
 
※やる事が子供じみている。
 
掲示の指示を出したのは国対委員長安住淳掲示は1時間も経たずに撤去され、安住淳は記者団に
 
「ちょっと調子に乗った。反省している」
 
等と述べたと言うが、そんな一言で済まされる考えているならこの阿呆、自分達仕出かした行為の重みをまるで理解していないと言える。
 
※国会開幕4日間での立憲民主党の質疑内容の割合。
 
通常国会が始まって最初の4日間での立憲民主党の質疑内容の割合は上記の通り。新型コロナウイルス関連や外交・安全保障と言ったテーマは殆ど触れずにスキャンダル追及ばかりなのは一目瞭然だ。通常国会が「来年度の予算を決める」と言うのが最も重要な議題である事は中学校でも学べるが、立憲民主党の議員は現職でありながらそれを理解していないのだろう。己の職責の本質を理解していない時点でその職にいる意味はない。私企業ならそれを承知で雇うのは自由だが、国会議員が「公職」である事は論を待たない。立憲民主党の存在そのものが「公金の無駄遣い」生む温床である。そんなに政治家のスキャンダル追及をしたいなら国会議員などせずに週刊誌記者にでもなって突撃取材を敢行すればいい。いずれにせよ立憲民主党の掲げる「まっとうな政治」の本質はこういう事である。
 
また、論評の内容から立憲民主党は「何が国家国民の為になる政策なのか」と言う点に全く興味がない事も判るし、「他者の意見に耳を傾ける」器量がない事も判る。「くず」「0点」「出入り禁止」と酷評した日経の記事は経済関連の質疑を行った自民党岸田文雄の質疑を中心に取り上げたものだった。岸田文雄の質疑の内容が妥当だったかどうか以前の問題として、取り上げたテーマは日経新聞の性質上、最も重点的に取り上げるものだ。また、「論外」とした岸田文雄の質疑を取り上げた産経新聞の記事でも岸田文雄が「桜を見る会」関連で注文を付けた事に言及している。言うまでもなく産経新聞は「安倍政権支持」「立憲民主党に厳しい論調」だが、それらに対して「自分達の事を取り上げていない」「自分達に厳しい論調」と言う理由で上記の様な酷評をした、と言うのは
 
「マスコミは立憲民主党を取り上げなければならない」
「安倍政権の評価や擁護は認めない」
 
と言っているに等しく、支那北朝鮮等と同等の発想だ。明らかに他者の「思想信条の自由」「言論の自由」を認めない姿勢だが、それが立憲民主党の言う「民主主義」「自由」なのだろう。どう考えても憲法の保障するそれとは全く相容れないものでしかない。立憲民主党はその名前からして「看板に偽りあり」である。
 
立憲民主党の本性は既に明白。
 
更に問題を大きくしているのは安住淳が「NHK出身」と言う事であろう。報道機関に携わっていた者がこの様な偏った見解を示すのは
 
「公共放送であるNHKがここまで腐敗している」
 
証左か、
 
立憲民主党は人をこうまで腐敗させる組織」
 
であるかのどちらか、あるいは両方であろう。
 
立憲民主党を待ち受ける運命。
 
立憲民主党は自らの掲げる「まっとうな政治」を実現したいのであれば先ずは自分達が政治場から消え去るべきだ。この様に「掲げる看板」からして嘘偽りの塊だと言うのにどんな大義名分があると言うのだろうか?立憲民主党の言動通りを「まっとうな政治」と言うならそれは「民主主義と相容れない」ものにしかならない。逆に言えば現在の立憲民主党の言動は自らの掲げる「まっとうな政治」とは真逆のものでしかない。国民はそれを見抜いているから立憲民主党の支持率は何時まで経っても向上しないのだ。立憲民主党の政治家はそんな事も理解出来ないらしい。こんなんだから立憲民主党は「存在事態が害悪」なのである。この一件はそれを自らの手で証明しただけだ。国民の手で選挙の度に「引導をくれてやる」必要がある。