活かされなかった映画の教訓

※実はおいそれと手出しが出来る状況ではない。
 
遂に日本人にも死者が出てしまい、その上、集団感染のリスクが現実のものとなってしまった新型コロナウイルス。横浜港では大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号が停泊したままで船内で感染者が発生している。そんな状況をアメリカメディアは
 
「日本が第二の震源地を作った」
 
と批判が出ている模様だが、一概に「そうとは言えない」部分もあるのではないだろうか?
 
 
記事によると「ダイヤモンド・プリンセス」号の乗員乗客は3711人。その内15日までに218人の感染が確認されたと言う。アメリカメディアがこの船に関心が高いのは乗客の内、400名余りがアメリカ国籍だからだと言う。自国民の安全に関心を持つのは当然だが、
 
「乗員乗客の約6%が感染しているこのクルーズ船は、世界中のどこよりもコロナウイルスの感染率が高い」
 
「現在の検疫手順が船内での感染拡大を防げていないばかりか、感染していない健康な乗客の感染リスクが高まる可能性もある」(TIME)
 
 
「このように閉鎖された環境で感染拡大を防ぐための対策を続けるには、現在の検疫手順では不十分だ」
 
「(感染者の)数が劇的に増加していることは、船内でウイルスが拡散し続けていることを意味している可能性があります。日本の港で感染の第2の震源地が作り出されている懸念がある」(ABCニュース)
 
等と辛辣な物も多い。一見「もっともに思えてしまう」が、大事な前提を忘れているのではないだろうか?
 
それは
 
「ダイヤモンド・プリンセス号は日本船籍ではない」
 
と言う事実である。
 
つまり、船内は「外国扱い」であり、日本の法律は適用出来ないのである。食料等の物資援助は「人道的配慮」として可能でも、日本政府が日本の法律を船内に強制的に適用させる、なんて真似は原則的には「出来ない」のである。現在この船で行われているのは「検疫」であって、それが終わらない限り次の段階へは進めないのである。
 
勿論「明らかな非常事態なのだから通常の手続きに拘る必要はない」と言う意見もあるだろう。人命かかった事態である事は「論を待たない」のだから政治判断での「超法規的措置」で出来る事はあるだろう、と考える事も出来る。
 
だが、ここでも相手が「未知のウイルス」なだけに
 
「私たちが何をすべきか、明確で明白な前例がない」
 
「不完全な情報で最善を尽くしている可能性が高い」(TIME)
 
と言うのが実際の所では「博打的要素」を孕んだ措置は取り辛いし、「失敗した場合の責任論」となると日本の政治家にそこまでの判断は期待出来ない。従って「遠回りでも安全確実」な選択肢に傾くのはそういう意味では「必然的」だとも言えるのである。
 
※映画の教訓が活かされていない。
 
この様な状況下で「政府はどうして支那からの入国を全面拒否しない?」と言う怒りの声が上がってきている。米豪など、そういう措置を既に採っている国もあるのに日本は未だに支那の一部地域のみ対象。コレでは「ウイルス対策として生温い」と、批判する声が出るのも当然であろう。
 
だが、これも「入国拒否」に対して「法的根拠がない」と言う理由で官僚が措置に抵抗していたらしいのだ。映画「シン・ゴジラ」ではゴジラ出現、と言う想定外の事態に対して自衛隊の出動の是非について法的根拠を求めて右往左往する場面があったが、まさに現在、その映画のシーンが現実のものとなってしまったに等しい。「想定外の事態」が「巨大不明生物」か「新型ウイルス」かの違いはあるにせよ、「映画通りの対応」をしているとも言えるのではないか?しかも現実のウイルスは目に見えない分、怪獣より質が悪い。記録的ヒットを叩き出した同作だが、その教訓は現実には活かされなかったらしい。
 
日本政府の対応の問題点の根源はここにあるのではないか?それは政治家と官僚のパワーバランス。政治家や官僚は今一度、この映画の教訓を思い出して事に当たって欲しいものである。