朝鮮学校無償化除外は当然だ

※こんなのを崇拝させる学校を支援する道理からしてない。
 
朝鮮学校を無償教育の対象から除外」した是非が問われた裁判で最高裁は「適法」と言う判断を出し、国の勝訴が確定した。この一件は何故か韓国でも報道される事になった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5f6c15e1093b8db9645767eb3b7a87441dd365b0

 

 


結論から言ってしまえば最高裁の判断は当然かつ妥当で、その理由にも合理的な根拠がある。それが判らない、と言うのは「差別と区別の違いを理解していない」と自白するに等しい。従ってこの判決に批判的な意見を述べる事はそういう「自身の無知」をさらけ出す愚行となるが、流石に韓国メディアもそこまでの愚は犯さなかったと言えるだろう。
 
最高裁の判決が出た以上、同様の訴訟についても判決は当然この判断に拘束される。朝鮮学校が自らを変革し、「朝鮮総連の支配」から脱却しない限り現状が変わる事もない。尤もそれが出来る様なシステムなら最初からこんな事にならない訳で、そういう意味では「変革の余地はない」と言える。
 
また、朝鮮学校教育基本法における要件を満たしていない。そういう要素を棚に上げて何でも「差別」に結び付ける風潮が問題なのであり、それを煽るマスゴミや左翼、一部政治家の存在は「日本の癌」にしかならない。その意味を理解してから意見は言うべきであって、「差別と区別の違い」を理解しない意見に意味はない。韓国メディアによるこの記事も冒頭の
 
日本で在日朝鮮人がハングルと歴史などを教えるために設立した朝鮮学校
 
と言う部分で記事を読んでいる人間に「朝鮮人差別ではないか?」と印象操作を仕掛けるのが精一杯で表立った屁理屈論評の展開が出来ないのもそういう理由であろう。尤もコイツ等の教える「歴史」は嘘出鱈目ばかりなのでそれを「教育」と言う事は出来ず寧ろ「狂育」とか「凶育」とでも言った方が正確な表現ではあるのだが。
 
いずれにせよ、最高裁が良識ある判決を出した意義は大きいと言える。勿論「差別」あってはならないが、「区別」は必要な事となる場合もある。その意味を理解して必要な情報を世間に拡散周知する必要は常に出てくる。我々一般市民でもその一助となる事は出来るだろう。細やかであれ、必要な事である。