やはりWHOは支那の犬だった
※コイツはやっぱり支那の犬。
今なお猛威を奮っていると言える新型コロナウイルス。世界的な流行となった原因を調べて今後の教訓にする事は人類共通の課題と言ってしまえば、過言ではないが、それを妨げているのはやはり支那とWHOだった模様だ。
https://www.sankei.com/world/news/201103/wor2011030013-n1.html
新型コロナウイルスの起源についてはWHOによる調査が行われているが、肝心の武漢市の市場の調査は出来ず仕舞い、しかもWHOはこの件で最も重要な
新型コロナウイルスの起源についてはWHOによる調査が行われているが、肝心の武漢市の市場の調査は出来ず仕舞い、しかもWHOはこの件で最も重要な
・武漢市の市場の調査
・支那の初期対応
については支那の専門家が一義的に行った調査結果を補完するだけ、と言う条件を呑んで現在調査を行っていると言う。これが事実なら調査結果を待つまでもなく「真相究明には辿り着けない」事は確実であろう。やはりWHOは「支那の犬」過ぎず、また支那は「人類共通の害悪」そのものである事も間違いない。
新型コロナウイルスが支那から流行が拡大した事は間違いなく、その場所も武漢市である事は論を待たない。その場所と支那の初期対応と言う「肝心要の急所」の真相究明が出来なければ現在行っていると言う調査に意味はない。支那何と言おうが客観的に調査しなければ何にもならないが、支那の一義的な調査結果を補完するだけ、とはWHO自体の存在意義をWHO自らが否定するに等しい。やはりテドロスが「支那の犬」だからこの様な条件を呑んだのだと言う裏付けなのだろう。これでは話にもならない。
「新型コロナウイルス対応に国境はない」と言うのであれば調査結果は人類共通の財産であり、教訓として以後同じ過ちを繰り返さない様にしなければならない。次、いつ何処で「人類に影響があるウイルスが発生するか」など予測出来ない。今回は発生源は支那だったが、次は支那とは限らない。そういう意味でも起源初期対応の是非を客観的に調査・分析する事は人類共通の利益である事は論を待たないが、支那はそれをさせず、WHOはそれを追認するだけの存在でしかなかった。コイツ等が「人類共通の敵」「人類共通の害悪」以外の何者でもない証左である。
「支那の責任を追及出来るかどうか」
「WHOを批判出来ない」
事になってしまう。そこも踏まえてアメリカ国民には人選を間違えない様にして貰いたいものだ。