映画からのトランプ大統領出演シーンカットは「ヘイト」だ。
8,360円
※明らかに狂っている。
不肖筆者は知らなかったのだが、92年の映画「ホーム・アローン2」にトランプ大統領カメオ出演していた。そのシーンを「カットする」と言う動きがネットで出ているとの事だが、ここまで来ると「異常」としか表現の仕様はない。
日本でも映画やドラマで特定の出演者の出演シーンをカットして放映する事はあるだが、それはその出演者が犯罪行為や社会的に問題がある行動をした場合であって、トランプ大統領がその様な事をしたとでも言うのか?
また、この手のカメオ出演は製作における遊び心、と言うケースも多い。この件では撮影に使われたホテルのオーナーだった、と言う縁で実現したのだろうが、そういう製作上の遊び心まで抹消する事になるし、そもそもこの時点(1992年)でトランプ大統領が将来大統領になる事を考えていたり、またそれを予測していた人がどれだけ居ると言うのだろうか?「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では30年後のアメリカ大統領が誰なのか尋ねて驚くシーンがあったが、実際はそういうものなのではないのか?(当の本人はこのシーンはお気に入りだったらしい。)
要するにこういう事に賛同する連中は「トランプ大統領の存在」そのものを認めない、と言うレベルになっているのだろう。トランプ大統領が嫌い、と言う考えは自由だが、だからと言ってこの様に過去の、それも大統領職とは無縁の事についてまで「なかった事」にしようと言うのは「歴史の改竄」そのものだし、そのやり口は共産主義のやり方そのものだ。支那やソ連での粛清劇でその対象になった人物がその後その国でどういう扱いを受けたかを見れば一目瞭然であろう。
こういう事が「世の中を正す」事など絶対にあり得ず、その本質は「ヘイト」であると言う事を理解すべきである。最近問題になる「ヘイトスピーチ」は当初「憎悪表現」とされていた。現在では「差別を煽る表現」と言う解釈が定着しているが、そういう意味で言っても「他の人間なら兎も角トランプはアウト」と言うのでは差別そのものでしかない。「本人のやって来た事が原因」と言う人も居るだろうが、例え当人が過ちを犯したとしてもそれを理由に差別して良いとでも言うのか?批判する事と差別は違う。こういう事に賛同する連中はその違いを理解していない、と言うだけの話である。