またもや不祥事の立憲民主党

 
 
※言い逃れ不可能。
 
立憲民主党にまたもや不祥事だ。立憲民主党から兵庫6区で出馬する桜井周、演説会やら事務所開きの際に「ナチス式敬礼」を彷彿とさせるポーズを取る者が複数存在したと指摘され、当人が謝罪する事態となった。どうして立憲民主党にはこういう「非常識」なのしか居ないのか?

 

 
立憲民主党では日常茶飯事だが。
 
冒頭の画像を見れば一目瞭然、言い逃れ不可能なレベルだと言えるだろう。「そういう意図はなかった」などと言う言い訳は通用しない。政治家であるなら「李下に冠を正さず」と言う精神がなければならないがコイツに限らず立憲民主党にはそういう配慮に欠けたのが余りにも多い。そんな集団で政権を担うどころか政治に関わろう、と言う姿勢からして根本的に間違っている。立憲民主党は「そこから自分達を見つめ直さないと国民の支持を得る事は出来ない」と受け止めるべきである。
 
これが欧米であればこれ一発で落選どころか「政治生命の終了」が約束される。それ程重大なレベルの非常識な行為だった訳だが、日本はそこまではいかない。寛容過ぎるのか?この手の問題に対する意識が希薄なのか?何でもかんでも欧米並みの感覚、とは言わないが、公職経験があるなら当然の常識としておかなくてはならない事は論を待たない。
 
 
※代表からして…
※副代表も。
 
そもそも立憲民主党とは「常識」に欠けた人間が作る政党なのだろう。枝野幸男は歩道の点字ブロックを塞いで街頭演説、辻元清美福祉車両優先乗降スペースを塞いで街頭演説を行うなど問題行動は挙げればキリがない。こういう最低限の配慮も出来ないのに「まっとうな政治」など期待する方がどうかしている。コイツ等に出来るのは「末等な政治」でしかない。しかもそれは予測などではなく、10年前に実証済みの話だ。そんな明白な事実を目の当たりにしておきながらコイツ等を支持したり、投票すると言う思考、行動からして理解不能だ。「自民党でなければ」と言う理由からであるなら尚更である。
 
 
立憲民主党の化けの皮は既に剥がれている。
 
それに輪をかけて「共産党と共闘」など一見聞こえは良いが、そもそも共産主義においては「自由」「人権」「民主主義」など存在しない。それらは憲法で保証されているものだが、根底ではそれらを否定する様な輩と組もうなんて時点で「看板に偽りあり」を自ら証明するのと変わりない。コイツ等の言う「立憲」とは「憲法の精神を擁護する」事ではなかったのか?理由が何であれ、共産党と組む時点でそれを放棄したと言っても過言ではない。立憲民主党共産党のトップが20年近く同一人物のままで、しかも党員の直接投票で選出された訳ではない事についてどう思っているのか?民主主義の観点から是非とも見解を述べて貰いたいものだ。
 
いずれにしてもこんな連中を議員にする事自体が「壮大な税金の無駄遣い」でしかなく、その意味では集団である分、無免許運転で当て逃げして議会をバックレたままの都議より始末が悪い。しかも木下富美子は都民の税金の問題だが、立憲民主党から国会議員を出す事は国民全員の税金が無駄遣いされる、と言う意味である。議会に出ているからと言ってもやっている事がスキャンダルの追及ばかりで「国家国民の為の議論」をしていないなら欠席とどう違うと言うのか?意味合いとしては変わりない。
 
だから立憲民主党やそれと共闘する国賊野党は政治には「無用の存在」なのである。コイツ等に投票する必要などない。「まっとうな政治」を望むなら先ずはコイツ等に退場して貰う事が一番の近道である。