韓国人の歴史認識が歪む根本的な理由

 

※功罪あっても罪だけ見るのはフェアじゃない。
 
「韓国人の歴史を観る目がおかしい」事を如実に示したのが先日の韓国の盧泰愚元大統領が亡くなった際の文在寅やメディアの対応である。どんな人物でも功罪あるものだが、「功」を無視して「罪」ばかり見るのはフェアではない。まぁ日本はそれを嫌と言う程体験しているだけにこの記事には説得力を感じてしまうのだが。
 

 

 

 
※そういう評価だってあるのだが。
 
盧泰愚元大統領の韓国大統領としての功績としては「ソウルオリンピック開催」や「ソ連支那との国交正常化」が挙げられる。特に支那との国交正常化は北朝鮮関係でも意味は大きいし、北朝鮮と同時だが国連にも加入出来た。そして支那は今や韓国にとっては最大の貿易相手国でもある。「宗主国と属国の関係に戻っただけ」とか言わない。支那との国交正常化がなければ韓国は今どうなっていたか?少なくとも今より貧しい国でしかなかった事だけは確かであろう。
 
一方で彼が韓国で非難される理由は
 
「軍幹部としてクーデターに加担した」
 
からである。だが、その軍事政権に終止符を打ち、民主化宣言をして国民による直接選挙で勝利して大統領に就任した人物だ。同時に「大統領退任後ムショ行き」と言う悪しき伝統も彼が先駆けだ。従って「評価が難しい」と言うのは韓国人でなくても理解は出来る。
 
だが韓国メディアの報道では功績は認めつつも
 
「功績<<<<<<<<<<過ち」
 
と言った扱いで彼の功績は「あってなきもの」であるかの如く扱われている。韓国は自称「成熟した民主主義国家」だそうだが、その道を開いたのは彼なのだからもっと評価すべき点はあると言える。少なくとも韓国国内で浸透している見方がフェアなものだとは思えない。
 
※それだけが能ではない。
 
韓国政府の対応も常軌を逸していた。彼には国葬が行われたが、文在寅の奴はその葬儀に出席しなかった。外交予定が迫っていたからとは言え、かりそめにも大統領の先輩である。「国葬」にした以上、出席は「大統領としての公務」に匹敵する重みがあり、葬儀を欠席するのは失礼以外の何物でもない。まぁ、文在寅の奴に「人間としての礼儀」を求めてはいけないが。それを証明するかの如く外遊先でオーストラリアのモリソン首相と会談した文在寅はモリソン首相からお悔やみの言葉をかけられたそうだが、あろうことか文在寅の奴はモリソン首相に礼の一つも言わずその件には沈黙を貫いたそうだ。人としてあり得ない。
 
文在寅のした事の意味。
 
また、支那との国交正常化を果たした韓国大統領、と言う事で習近平自ら弔電を送ったそうなのだが、韓国政府はそれを握り潰そうとしていたと言う。駐韓支那大使が遺族に電話した事で遺族は「習近平が弔電を送った」事を知り、結果的に遺族に習近平の弔電が届くのに3日かかったと言う。しかも
 
「『遺族に必ず伝えてほしい』と言う要請がなければ必ずしも伝える必要はない」
 
等と詭弁を弄したのだから一層始末が悪い。習近平が弔電を送った意味を考えればそんな要請があろうがなかろうが「遺族に伝えるべきか否か」は自明の理である。そんな判断も出来ない連中しか韓国政府には居ないのか?礼儀知らずにも程がある。モリソン首相も呆れ返ってしまったか、「人としての礼儀も知らないのか?」と憤慨したのか?
 
※そもそも韓国に「まとも」を求めてはいけないが。
 
人間誰しも功績ばかりや罪ばかり、なんて事はなく、大なり小なりその両方を併せ持っているものだ。従ってある人物を批評するならその双方を公平に取り扱う必要があると言えるがこの国の場合、「功績」より「罪」に目が向いて「罪」ばかり叩く悪い癖がある様だ。「反日」と同じ構図である。韓国人は日本による朝鮮半島統治の「罪」ばかり叩く。確かにそこには大韓帝国と言う国が存在しており、それを日韓併合条約と言う形で地上から消滅させた。それ自体を「罪」だとしても結果として人口を倍増させたり戸籍を整え、身分差別をなくしたり近代化させたりと「功績」も大きい。韓国人はそこには目を向けないが。また大東亜戦争も勿論「罪」と言える要素はあるものの、結果として帝国主義を終焉させ、民族自立のきっかけになった。日本は「敗者」と言う役割になっただけだ。歴史や人物の評価には双方の側面をキチンと見て公平な目で評価する事が求められるが、韓国人にはそれが出来ない。だから彼等の歴史認識は歪んだものになる。歴史認識の差を話し合って埋められるレベルではなく、それ以前の問題を韓国人は抱えており、それを自分達で解決しない限り「話にもならない」のだ。日本としてはそれを認識する必要がある。その観点では記事の指摘は正しいと言えるが、韓国人の自力に期待するのは何年かかるか判ったものではない。事実上「無視」が唯一の選択肢なのである。