誇り高き旭日旗よ永遠なれ

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昭和17年のスバラヤ沖海戦は、ご存じだろうか?日本軍vs.米英豪蘭連合軍の海戦であった。
筆者としては戦争賛美のつもりはないし、軍国主義者でもないので戦闘の詳細は割愛するが、結果だけ述べるなら日本軍の圧勝であった。
今回触れたい話はその翌日の話である。
戦闘の翌日、周辺海域の哨戒任務にあたっていた日本軍駆逐艦「雷」は前日の戦闘で撃沈された英軍艦の乗員が漂流しているのを発見。その数400人と言われる。
「雷」艦長の工藤俊作中佐(写真)がこの敵兵の救出を命令、世に言う「敵兵救出作戦」である。幾ら「救助活動中」の国際旗を掲げていても戦闘海域では潜水艦に狙い撃ちされる危険性がある。また軍艦では真水は貴重品であり、軍艦の発進・停止の繰り返しはかなりの燃料を消費する。
しかしそれらを惜しみなく使い、全員を救出。
しかも自力で「雷」まで辿り着けぬと見るや日本兵自ら海へ助けに飛び込む程であった。彼等を救出した工藤中佐は「貴官らは勇敢に戦われた。今や諸官は日本海軍の名誉あるゲストである。」と英語で(!)挨拶し、英兵らに衣食を与え、かつボルネオ島で全員を捕虜としてオランダの(!)病院船に引き渡した。 

この時救出された当時英海軍中尉だったフォール卿(戦後彼は外交官になりその功績で「サー」の称号を授与された)は自伝の冒頭に「この本を私の人生に運を与えてくれた家族、そして私を救ってくれた大日本帝国海軍中佐・工藤俊作に捧げます。」と書き、工藤中佐に一言礼を言いたいと訪日している。残念ながら工藤中佐はその時既に他界されており、フォール卿の願いは叶わなかったが、顕彰式典、墓前祭が行われたそうだ。
驚くべき事に工藤中佐の遺族はフォール卿の訪日までこの話、知らなかったそうだ。工藤中佐こそ「漢の中の漢」である。

…同様の話は日露戦争でもあり、ロシア艦「リューリック」を撃沈した後司令官の上村彦之丞中将は「捕虜を侮辱するな。武人として扱え。生けとし生けるものは小鳥でも救い上げろ。」と命令、その言葉通りに犬、猫、カナリア(!)まで助けたと言う。

両者の振る舞いは日本海軍の「武士道精神」によるものと言われるが、筆者としてはそれと共に海軍旗を掲げた船を預かる者としての自負もあったのではないかと思う。
海軍旗に恥じない振る舞いとしての敵兵救助だったのではないかと思うのである。

「雷」の場合、救助された英兵達は「雷」に敬礼をして見送ったという。敵の心をも落とした軍艦に掲げてあったのは言うまでもなくかの旭日旗である。

そういう旗だけに日本人としてはもっと旭日旗に誇りを持ってもいいのではないか?筆者としてはそう思うのである。因みに「大和」特攻の際、漂流する日本兵に対し米軍は救助どころか機銃掃射をしている。

そんな旭日旗を「戦犯旗」と貶める韓国は論外だが、その韓国人へのヘイトスピーチで物議を醸した「あの団体」もその意味では旭日旗を貶める結果を招いているのではないだろうか?
彼等の主張は筆者も理解出来る。在日特権など逆差別であり、廃止すべきだ。それは判る。

韓国人も旭日旗を掲げて日本人が行った事として、上記の様な話もあったと言う歴史を知って貰いたい。

件の団体も上記の様な話を知って旭日旗を使うなら貶める真似はすべきでない。そう思うのである。