おかしなおかしな河野談話

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10月16日の産経新聞を見て驚いた。河野談話の根拠になった慰安婦の聞き取りがあまりに杜撰であった事にだ。報じた産経新聞も「河野談話の正統性は根底から崩れた」と断じているが筆者も全くの同感である。

慰安婦本人の氏名からして名字だけ、不完全なもの、漢字が判らない。生年月日も判るのは聞き取りした半数に過ぎない。出身地に至っては大半が判らないときた。更に証言内容も大阪、熊本、台湾など明らかに戦地でない場所(つまり慰安所はなかった事を意味する)で働いた証言、また後述するが歴史的事実との食い違いなど、それ等の証言からどうやって「慰安婦募集の強制」と言えるのか理解不能である。

産経新聞によると談話を出した張本人は取材拒否したとの事。しかし談話作成時に証言の矛盾が指摘されているにも関わらずまるで結論ありきで作成したかの様な印象さえ受ける。

当時韓国側から「強制性を認め謝罪してくれればそれ以上言わない。」と言われその通りにしたと一説には言われている。しかし韓国は政権が変わり、話は反故にされ、悪影響だけが残った。河野談話の残した悪影響は計り知れない。新内閣になれば政権の歴史認識の踏み絵となり、真実を駆逐した。また、新事実が判明してもそれを封じ込めるジョーカーにもなった。先日フランスのパリで何故か慰安婦問題のデモが行われたが、その場の慰安婦の証言は「朝鮮戦争で日本軍の慰安婦にされた。」歴史的事実に、著しく反するが、慰安婦問題ではまかり通る。この様にこれ以上に国益を毀損した発言はあっただろうか?

談話を出した本人は会見して真実を明らかにするべきだし、そうでないなら国会は彼を証人喚問してでも真実を明らかにし、この20年で新たに判明した事実を踏まえて河野談話に代わる新たな談話を出すべきだ。

この調査で黄某なる慰安婦の証言は「令状が来て義姉の身代わりで行った」となっているが、韓国側の調査には「工場の仕事に行けば金が儲かると騙された」と言ったらしい。生年月日も日本側には1927年12月1日、韓国側には1922年8月15日と全く異なる。 
更に日本側には「19歳の時、令状が来て義姉の身代わり」で慰安婦にされたそうだが、その時点で(日本側調査の生年月日なら)1946年がその年。戦争はその前年に終わっている。4年後の8月まで慰安婦だったと証言しているから、それは1950年になる。韓国側に話した生年月日だとすれば、終戦まで慰安婦だった事になるから辻褄は合うがそれならば何故日本側の調査に嘘の証言をしたのか?という疑問点が出てくる。
また、吉某なる慰安婦の場合生年月日は1924年12月7日で、17歳の頃軍人に車に乗せられ熊本で5年軍人の相手をさせられ、爆撃らしきもので誰もいなくなった隙に逃げたと言う。それを前提にしたら、17歳の時は1941年。5年熊本で慰安婦やっていたなら逃げたのは1946年になり、やはり戦争は終わっている。大体戦後熊本に爆撃があったなんて聞いた事ない。

更に盧某なる慰安婦の場合生年月日は記載がないが、1938年17歳の頃畑仕事中軍人に捕まり慰安婦にさせられたと言う。その後25歳の時逃げ出し韓国に戻ったと言うがこれまた1946年、戦後の話になる。

産経新聞には当時の官房副長官のインタビューも掲載されていた。見る限り余りにいい加減な調査とは言えない調査、韓国側を信じてと弁明していたが、日本の名誉のかかった調査とは思えない対応としか言いようがない。見出しは「日本の善意、裏切られた」だったが、言い方は悪いが実際は詐欺の標的にされたに等しい。

産経新聞に限らずマスコミもこの証言を詳しく調べて見解を出すべきだ。慰安婦問題を捏造した新聞社は特にそうだ。この新聞社と河野談話に関わった人間は慰安婦問題で失われた国益の責任を取り国に償うべきだ。