特攻隊員の手紙の記憶遺産申請

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鹿児島県南九州市大東亜戦争の特攻隊員の遺書や手紙等をユネスコの世界記憶遺産に登録すべく手続きをしたという。

大ヒット映画「永遠の0」等の影響もあり、我々日本人もあの特攻とは何だったのか、改めて考える機会でもあろう。

特攻が初めて組織的に行われたのはレイテ沖海戦の時だと言うから今年で丁度70年になる。
特攻作戦を言い出したのは大西瀧治郎海軍中将とされている。言うまでもなく特攻など人命軽視の非道な作戦であり賞賛など間違っても出来ないが、一説には大西は特攻の実状を昭和天皇の耳に入れる事で昭和天皇から終戦の聖断を引き出したかったのだと言われている。結果的にはそうはならず海軍だけで2151機の特攻機が出撃する事となった。命中率は2割に満たず悲劇だけが残る結果になった。
因みに大西自身は特攻を「統率の外道」と述べていた。考えている事とやっている事の矛盾は感じていたのだろう。大西は終戦翌日に特攻隊員に詫びる遺書を残して自害している。

そういう特攻隊員の遺書や手紙等で隊員が特定出来る物を世界記憶遺産に申請した訳だが案の定と言うべきか、支那や韓国で歪曲されているのには憤慨する。

そもそも特攻を礼讃したり賛美する意味での申請ではないのにあたかも特攻を礼讃・賛美しているかの様に記事にしたり、それを無理矢理軍国主義に結び付けたり、酷いのは「特攻隊を世界記憶遺産申請」と誤解させる書き方をしたり…
元々この連中に理解を求めるのは無理があるし、理解できる度量など持ち合わせてはいないのは明白だが、これだけは間違いなく言えるのではないだろうか?

…どの国であれ良かった歴史もあれば間違った歴史もある。特攻が間違った事であったのは明白だがそういう悪い物も含めて歴史である。だから隊員達の気持ちの伝わる遺書や手紙を世界記憶遺産にして二度とこの様な悲劇を繰り返す事の無いようにするのだと。歴史を直視すると言うのは当にこの事であると。

支那や韓国の連中にそれを理解できる度量があれば話は別だが理解できるなら最初からこうなってはいまい。

それと日本国内の反日左翼の連中はそういった特攻隊員達の犠牲の上に現在の日本がある事を忘れてはいないか?特攻で犠牲になった人々がいて今の日本がある。ならば彼等に感謝の一つでもしてみたらどうだろう?何かと批判ばかりする前に。

亡くなった特攻隊員達は靖国神社に祀られている。靖国神社を参拝するのは彼等の犠牲の上に今の自分がいる事実に感謝する意味もあるのではないか?それを差し置いて靖国神社を批判するのはおかしい。

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特攻を受けた米護衛空母セント・ロー。
この特攻で撃沈されるが、その戦果より、空母より、艦載機より、零戦より、人命は重いのである。