日本は人種差別撤廃推進国家だった筈なのに…

イメージ 1

1918年、第一次大戦後のパリ講和会議国際連盟委員会に於いて日本は人種差別撤廃を前文に明記する提案を行った。これが人種差別撤廃が国際会議の場で初めて提案された例だと言われている。

採決の結果は賛成11反対5。(反対したのは米、英、ブラジル、ポーランドルーマニア王国)にも関わらず議長を務めたアメリカ大統領ウィルソンは全会一致を持ち出して提案を葬り去った。当時アメリカで差別を受けていた黒人層やインドや東南アジアの被植民地の人々からも注目された提案でもあった。
ウィルソンがこの提案を葬り去った事に対してアメリカでは自国のこの一連の行動に対して人種暴動が起きる騒ぎとなった。

イメージ 4


それから時代が下った1943年、大東亜戦争最中に大東亜会議が行われた。史上初の有色人種のみによるサミットであった。しかも「宗主国と植民地」といった主従関係を前提にしていなかった為、開催国であった日本への厳しい意見もあった。例えば日本軍政下のインドネシアが参加出来なかった事などである。

会議の成果として「大東亜宣言」が出されたが、その中にこの様な一節がある。
 
「大東亞各國ハ萬邦トノ交誼ヲ篤ウシ人種的差別ヲ撤廢シ普ク文化ヲ交流シ進ンデ資源ヲ開放シ以テ世界ノ進運ニ貢獻ス」

…明確に人種差別撤廃を謳っている。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140313-00133505-gekisaka-socc

イメージ 2

そんな日本で人種差別問題が発生したのは非常に遺憾である。
先日のサッカーJリーグ浦和レッズのサポーターが「JAPANESE ONLY」と書かれた横断幕を掲示、更に浦和は掲示を知りつつ試合終了まで撤去させられなかった。掲示したサポーターは「ゴール裏は自分達の聖地であり、他の人、特に外国人に入って来て欲しくなかった。」「差別的、政治的意図はなかった。」等と話しているそうだが、その考え自体が既に差別的であるのに気付いていないようだ。人種差別撤廃を最初に提案した日本でこの様な事件が起こったのは残念な話だと言える。

浦和レッズには次試合の無観客試合という制裁が決まった。史上初の制裁だという。その損失は3億以上とも言われるが、掲示したサポーターはそこまで考えていたのだろうか?考えていたなら最初からこんな事態にはならない。

人種差別やそれに準ずる言動は日本の国際イメージを毀損するだけでなく、自分以外の様々な所に迷惑をかける。先述した日本の人種差別撤廃への行動も水泡に帰すのではないだろうか?歴史から学ぶ事は多い。また、隣の悪しき国の悪例を反面教師にしていかなくてはならないと思うのである。

イメージ 3