Disappointed・その2

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菅義偉官房長官は24日の記者会見で、自民党萩生田光一総裁特別補佐が河野談話の検証を受け、新事実があれば新たな談話を検討すればいいとの考えを示したことについて「安倍晋三首相が見直しはしないと明言している。検証はするが、見直しはあり得ない」と明言した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140324-00000526-san-pol

官房長官はこの様に述べ、河野談話の検証はしても見直しはしないという認識を重ねて示した。

文字通りに受け止めるならば改めて「Disappointed」である。
ならば河野談話を検証する意味は何なのか?また指摘されているような談話作成時の韓国の関与が明らかになったり、(=虚構が入ったという意味)証言の嘘が立証されたらどうするのか?嘘の証言や相手の都合で事実認識をねじ曲げて作成された談話を守るどんな意味があるのか?

http://m.blogs.yahoo.co.jp/imadon1101/32474187.html
河野談話の証言のおかしさについて述べた筆者の過去のブログ

歴史認識とは記録や史料等がベースにならなくてはならない。裏付けのない証言は歴史認識を形作る材料足り得ない。また、新たな史料や記録の発見で今までの歴史認識が大きく見直される事も十分有り得る。

http://m.blogs.yahoo.co.jp/imadon1101/33036178.html
※以前に同様の主張をした筆者の過去のブログ

また、以下のリンクの記事に記されている事については如何であろうか?

http://www.iza.ne.jp/smp/kiji/politics/news/140320/plt14032013160005-s.html

http://www.iza.ne.jp/smp/kiji/politics/news/140317/plt14031718320024-s.html

記事にもある通りだが、日本統治時代の朝鮮半島においては地方議会議員、警察官、軍人等の職種にも多くの朝鮮人が就き、日本人と共に朝鮮半島の統治にあたっていたのが実情である。余談だが支那人が用いる韓国人の蔑称「高麗棒子」も日本統治時代の朝鮮人警官に由来するという。

故に「少なくとも学術的には」検証の結果新たな事実が判明し、真実である事の裏付けが成された場合は河野談話の認識を改めても何ら問題はないと言い切っていい。萩生田総裁特別補佐の発言は問題発言とは到底言えない。問題なのはそれに火病を起こす隣国と「妄言」と報道した某夕刊紙の方である。

河野談話を見直す事はおろか検証そのものに反対する意見があるのは事実だ。もっともそれは筆者には理解不能な主張である。先述した様に検証した結果新たな事実が証明出来た場合、談話を見直したとしても「少なくとも学術的には」何ら問題ない。問題があるとする理由があるなら筆者としては是非聞いてみたい。

河野談話の見直し」を明確に否定した安倍首相と菅官房長官だが、何か新事実は判明し、かつそれが真実と証明された場合を想定して大逆転のウルトラCでもあるのだろうか?まずは河野談話の検証からであるが、その結果に注目しておくべきである。

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