捕鯨に未来はあるか?

イメージ 1

南極海での調査捕鯨を巡って日本とオーストラリア・ニュージーランド国際司法裁判所で争った訴訟、判決は残念ながら日本の敗訴であった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140331-00000544-san-asia

どうやら調査捕鯨の科学的妥当性を上手く証明出来なかったようだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140331-00000096-mai-int

日本政府としては判決には不満だが、法治国家である事と国際司法を重視する観点から判決には従うものの、太平洋での調査捕鯨の継続を模索するようだ。尤も16人の判事の内反捕鯨国出身が10人いた様だから事実上勝敗は決まっていたに等しいが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140401-00000007-jij-pol

インターネットでのこのニュースに対する意見を見ると「豪州産牛肉の不買運動」や「IWC脱退→商業捕鯨再開」と言った過激な意見も多く見かけたが、それでは支那や韓国と同じ穴の狢になってしまうのではないだろうか?筆者自身も鯨を買って食べる事もあるし、判決には不満だが国際司法裁判所の裁判では控訴出来ない。従って判決を受け入れるしかない。

イメージ 2

…そもそも「鯨を食べる」行為自体が悪なのか?という疑問がある。先史時代から世界中の沿岸で鯨(イルカ含む)を食べていたのは間違いない。日本でも縄文時代の遺跡から縄文人が鯨を食べていた事は判明している。大した船も武器もない時代にどうして鯨を捕って食べる気になったかは謎だが。しかし時代と共に沿岸資源の枯渇と共に遠洋で鯨を取るようになったが、そうすると冷凍・冷蔵技術のない時代では遠洋で取った鯨肉の鮮度を維持して持ち帰る事が出来なくなり、鯨を食べる事がなくなってきたと言う。西欧ではそうだったらしい。しかし鯨油等、食べる以外に需要があり捕鯨自体は行っていた。アメリカが日本に通商を要求してきた理由の一つが太平洋での捕鯨で日本で燃料・食料の補給がしたいからであった事は忘れてはいけない。

要は乱獲が鯨の減少の原因で絶滅させない為に保護が必要だと言うのが西洋人の主張の様だが日本人は元来自然と共生して生きてきた民族である。そういう精神は西洋人からすると信用されないようだ。しかしその西洋人は身勝手な乱獲でドードー鳥やステラー大海牛等無意味にどれだけの生物を絶滅させたのか?圧巻はアメリカ人で10億羽以上いたというリョコウバトを皆殺しにした。

イメージ 3


牛や豚より鯨は人間に近いから食べてはならないと主張する意見もある。しかし、 分子系統学的・古生物学的研究から、クジラ類の祖先は陸生の原始的な”偶蹄類”であること、クジラ類に最も近縁な陸上哺乳類はカバであること、分岐分類学ではクジラ類は”偶蹄類”の中の一系統に過ぎないことが判明している。(現在では「偶蹄類」から「鯨偶蹄類」となっている)

つまり偶蹄類の一員という事は牛やイノシシと近い仲間である。故に牛や豚より鯨は人間に近いなどと言うのは学術的にはナンセンスな話である。

結局の所捕鯨を批判するのは種の保存を隠れ蓑にした思想の押し付けの域を出ないのではないだろうか?そんな気がしてならない。しかし南極海での調査捕鯨は事実上禁止されたに等しい。太平洋での調査捕鯨を守る為に調査捕鯨方法の見直し、今回の訴訟で明らかになった問題点を抜本的に検証していくしかなさそうだ。

イメージ 4