不定期連載・東京裁判に毒を吐く

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筆者のブログを読んだある読者様から「東京裁判についての連載」のリクエストを頂いた。いずれやってみたいテーマではあったので筆者に出来る範囲で不定期連載ながら、挑戦してみたい。

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先ずは東京裁判の方向性を決めたと思われる一言から始めたい。
日本に対米開戦を決意させた理由の一つとされるハル・ノート。当時の米国務長官コーデル・ハルの名から取られた。そのハルは戦争末期にルーズベルトにこの様な進言をしていたという。

「日本をアジア解放に殉じた国と思わせてはならない」

筆者にはこの言葉が終戦後のGHQによる一連の改革指令や東京裁判における理不尽な裁判のやり方など戦後政策全般に繋がっていたのではないかと考えている。

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GHQによる教育改革では学校教科書の中に軍国主義に関係する部分を墨で塗り潰した「黒塗り教科書」が有名だ。更に自虐史観を刷り込ませる事で戦前のイデオロギーは全て誤りであり、侵略戦争であったとした。

また「大東亜戦争」の呼称を全面的に禁止させた。そして「太平洋戦争」に変更させた。
ここで触れて置きたいのは「太平洋戦争」ならばイデオロギーは関係ない。単純に日米間で戦争をやったという意味にしかならない。また地理的に日米間の海が太平洋だったからに過ぎない。

ところが「大東亜戦争」となると話は別だ。そもそも名称自体は閣議決定を経て決まったものであり、更に内閣情報局から「今次の對米英戰は、支那事變をも含め大東亞戰爭と呼稱す。大東亞戰爭と呼稱するは、大東亞新秩序建設を目的とする戰爭なることを意味するものにして、戰爭地域を主として大東亞のみに限定する意味に非ず」と発表され、戦争目的はアジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指すものであると規定した。
この戦争目的が建前に過ぎないと言う考えを主張する人もいるかもしれない。では大東亜会議や大東亜宣言を侵略戦争という観点からどう説明するのだろうか?

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それに対してあれこれこじつけて考えるよりも「 アジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指すもの」という目的を素直に受け止めた方が自然な解釈ではあるまいか?実際にアジア諸国独立戦争に協力した元日本軍人はかなりの数になる。

また、戦術、軍事的観点からすれば明らかに日本の敗北である。しかし戦争を政治の延長、政治目的の達成手段と考えるならば結果的にはアジア諸国は戦後独立し、「 アジア諸国における欧米の植民地支配の打倒」は達成されたと言ってもいい。その意味では日本の勝ちと解釈も可能である。米英は戦争で日本を負かしたが何を得たのだろうか?

そういう「試合に負けて勝負に勝った」的な解釈を日本にされては自分達が堪らない。故にGHQはそうさせない施策を行った。そしてその象徴として東京裁判であらゆる手を駆使して当時の指導者を断罪し、日本国民に完全な敗北感と大東亜戦争の正当性を否定させる必要が合あったのではないか?その施策が亡霊の如く未だに日本で蠢いている。即ち自虐史観とそれを推し抱く反日左翼である。

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