憲法9条にノーベル平和賞?

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憲法9条をノーベル平和賞に推薦、受理され、今年のノーベル平和賞の候補になったと言う。
http://news.nicovideo.jp/watch/nw1025849?news_ref=w_hrank_pol

これはインターネットである主婦が言い出して賛同する署名が集まり、推薦となったようだ。インターネットの意見を見ると護憲派は賛成の様だが改憲派は反対の様だ。ネットでは「ノーベル平和賞を受賞すれば改憲出来なくなる。これは護憲派の陰謀だ」「平和賞を受賞した場合改憲に外国からの不要な干渉・圧力を招く」との意見もある。

因みにノーベル平和賞は個人・団体に与えられるものだから受賞対象は仮に受賞すれば「日本国民」となる。

一見有り難い話に思えるがネットでの指摘通り受賞したら改憲するのは難しくなるのは明らかである。また憲法をどうするか、日本という国の在り方をどうするか、はあくまでも日本国民が決める事であり、如何に国際的な権威のある賞でもそれを足枷同然にして改憲を阻止する意図があるならそれはノーベル平和賞への冒涜である。それなら辞退するか受賞しない方がいい。

以下に憲法9条の条文を記載したのでご参考頂きたい。


第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

…日本は戦後一貫して平和国家として歩み、世界平和に貢献しているのは間違いないだろう。しかしだからと言って憲法9条が世界平和に貢献しているのとはまた別の話ではないだろうか?

そもそも「平和」とは如何なる状況を言うのか?普通に考えれば「争いのない」状態を言うのだろうが、自分達がそうであっても国際社会では必ず相手がいる。故に自分達が平和を主張しても相手もそうとは限らない。また「平和」を自分達が破る事はないなら相手も「平和」を破らないと考えるのはハッキリ言って甘い考えだ。

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※自身が平和主義・無抵抗主義を唱えても相手によっては通用しないという好例。

省みれば韓国による竹島強奪。竹島強奪時点で日本国憲法は施行されていたが、憲法9条が竹島防衛に何か役に立ったと言えるのか?当時はまだサンフランシスコ平和条約発効前で国際法上日本は主権を回復していなかったが、国際社会が韓国の竹島強奪阻止の何の役に立ったのか?竹島強奪は韓国の異常性、そして憲法9条は日本の安全保障の足枷であり、自身が平和主義を唱えても通用しない相手がいる「事実」を我々に教えてくれた。…にも関わらず憲法9条を教義の如く推し抱いて護憲だ何だと言う主張が跳梁跋扈しているから始末が悪い。

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※これが憲法9条が招いた竹島での人的被害。

戦後の日本の安全保障の基軸は自衛隊の存在、日米同盟による日米安保体制であり、それがあるから日本は北方領土竹島以上に領土主権を侵害されなかった。この「事実」を理解出来ない人間がこういう訳の解らぬ事をするのだろう。また、憲法9条の考え方が世界にどれだけ浸透し、その主旨に賛同して自国の憲法も日本同様の内容に改正した国がどれだけあるのだろう?

そうした国が世界の半分程度あるなら筆者としても憲法9条にノーベル平和賞と言って理解出来るがそうでないならどこまで意味があるのか疑問で、単なる改憲阻止の手段としてノーベル平和賞を悪用するという疑念を抱かれても文句は言えまい。

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※世界中がこうならないと「真の平和」は訪れない。

かつて人権がそうであった様に平和も誰かから与えられて享受するものではなく、自ら勝ち取って享受すべきものである。この原則を忘れるのは亡国への第一歩だ。

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尚余談だが、大日本帝国憲法改正という形で帝国議会で現憲法が審議された際、徹頭徹尾反対したのは意外にも共産党である。特に9条については「一個の空文に過ぎず、わが国の自衛権を抛棄して民族の独立を危うくするので我が党は反対しなければならない。」とまで言っている。(1946年8月24日衆議院本会議)同日の衆議院での採決は賛成421反対8。反対票を投じた内共産党議員は6人(全員)だったという。現在の共産党の主張からすると俄に信じ難い嘘みたいな本当の話である。