富岡製糸場と世界文化遺産登録勧告

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群馬県富岡製糸場が国際記念物遺跡会議(イコモス)によって世界文化遺産への登録を勧告される事になった。
これにより、富岡製糸場世界文化遺産への登録はまず間違いナシであろう。
http://www.iza.ne.jp/smp/kiji/life/news/140426/lif14042622190029-s.html

推薦した内容が無条件かつほぼ全て認められるという「満額回答」と言っても過言ではないほどの内容であった。最近は管理状態の維持の問題などから世界文化遺産登録への審査が厳しくなっているそうだが、そんなのどこ吹く風の快挙であろう。

http://www.iza.ne.jp/smp/kiji/life/news/140426/lif14042610570008-s.html


富岡製糸場は映画「あゝ野麦峠」の如く女性工員の過酷な労働環境がつきまとった本邦初のBLACK企業…ではなく、官営だった時代(明治26年まで)は労働時間は1日約8時間で、週休1日のほか夏冬に各10日間の休暇があり、食費や寮費などは製糸場が負担していたという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140427-00000071-san-soci

また教育施設も併設され、女性工員たちは辞めた後も、地元の製糸場などで指導的な役割を果たすことが少なくなかったという。女性の社会進出を助けたとは時代を先取りした素晴らしい措置であろう。
またイコモスは今回の登録勧告にあたり、配慮事項として「女性たちの指導者あるいは労働者としての役割を通じた技術移転について調査を行うこと」を求めた。どうやら「世界でもまれに良好な当時の女性労働環境」が、注目されたようだ。

余談だが元々日本は余り男女差別のなかった国だ。振り返れば卑弥呼も女性だし、歴史上の女性天皇も古代は特に多数いる。戦国時代には女当主、女城主の例は結構ある。上杉謙信にも女性説があるくらいだ。男女差別を助長したのは江戸幕府儒学を広めた所為とも言われている。

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今回の世界文化遺産登録勧告には登録の為に対象を絞った群馬県はじめ関係者の作戦も見事だが、所有してから操業停止後も維持管理を続けた(平成19年に市に寄贈)片倉工業の努力も特筆に値する。「貸さない・売らない・壊さない」を守り通した片倉工業の努力には敬意を表したい。

また、富岡製糸場の歴史的経緯も今回の登録勧告には一役買った事だろう。設立が明治5年と言うから驚く。つまり明治維新から僅か5年で日本は産業革命に至ったとも言える。世界中で見ても明治日本の近代化の速度は稀である。それ以外にも明治2年には電信が開設、明治5年にはガス事業が始まっている。同年には鉄道も開通している。

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そんな中で女性の労働環境にも配慮のあった富岡製糸場は日本の近代化の象徴として相応しいと言えるだろう。正式な登録が待ち遠しく思える。

…杞憂かも知れないがそんな日本に冷や水を浴びせねないのが、支那・韓国だ。
「明治日本の近代化は日本帝国主義に繋がるから登録反対」などと言いかねないが、この二カ国の場合、この時代の支那は自らの腐敗もあって西欧列強に食い物にされ、朝鮮は日本の呼びかけに応じず自ら近代化を拒んだ。その結果が日韓併合であり、朝鮮半島の近代化は日本によってなされたのである。支那・韓国がそういう自国の歴史を正しく理解しているはずがない。
また何かと屁理屈をこねるだけなのだろう。さもしい連中だけに。