科学か法律か

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20年前の話で恐縮だが、1994年の映画「ゴジラvsスペースゴジラ」の主題歌「エコーズ・オブ・ラブ」の歌詞の一節に「♪愛の形は 誰にも 見えないけれど 不思議な 力で 感じあえるの」とある。それを裁判官が感じたのかは定かでないが、DNA型鑑定で血縁関係がないことが明らかになった場合に法律上の父子関係を取り消せるかが争われた3訴訟の上告審判決で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は17日、父子関係の取り消しを認めない判断を示した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140717-00000549-san-soci

実際には訴訟は三件だったがその一つ、北海道の訴訟では婚姻中に妻が懐胎、産まれた子供を父親が認知したが、子供と父親の血縁関係がない事実がDNA鑑定で確認された。妻は子供の生物学上の父親と再婚(父親の確率99.99%)し、法律上の父親(=元夫)に認知を取り消す様、子供の代理人となって訴訟を起こした。一審二審ではDNA鑑定を理由に父子関係を取り消す判決だったが、最高裁はその判断を覆した。

民法は772条で「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」(嫡出推定)と定めている。嫡出推定を覆すには、嫡出否認の訴えを起こす必要があるが、訴えを起こせるのは「夫だけ」で、提訴期間も「子の出生を知ったときから1年以内」に限られる。

 判例では、夫が単身赴任だとか、ムショで服役中など明らかに夫婦関係がない場合などには例外的に「推定が及ばない子」として扱われるケースもあったが今回のケースには該当しない。細かい事情を抜きにして法律論だけなら夫の勝ちだが、事態はそんな単純ではなかったようだ。最高裁判決がそんな単純に出る筈ない。

この元夫は判決前に自分と血縁関係がない子でも親子の絆はある、と主張していた。

http://www.iza.ne.jp/smp/kiji/events/news/140609/evt14060920320040-s.html

他人には理解出来ない事かも知れないが正しく「愛の形は誰にも見えないけれど不思議な力で感じあえるの」かも知れない…

彼はこの最高裁判決で救われたが、子供にとっては法律上と生物学上の父親が並存する特殊な状況に置かれる事になった。勿論子供には何ら罪はないのだが…

メディアは余り触れないが、この問題の根本は不倫した妻にある。不倫した上その相手の子を懐胎し、更に離婚してその相手と再婚し、元夫に認知を取り消す様訴訟を起こした訳だ。そんな我儘理不尽が通る程世の中甘くない、と最高裁が言った様にも取れる。子供に罪はないが親の業が原因で子供の法的地位が不安定化した。あたかも自分達で責任取れと言わんばかりだ。

…とは言えこの規定自体が明治時代のままであるのも明らかに問題である。制定時点でDNA鑑定など想定する術はなく、(血液型だって明確でなかった)科学技術の発展に法律が取り残されているのだ。これを指摘した裁判官も勿論いる。

この様に法律が時代に合わなくなっていたりするケースは多々存在する。法令の字句に拘ったり、無茶強引な解釈論を振りかざす位ならいっそ改定して現実的な法律にしたほうがいい。

そういう事態は如何なる法でも話は変わらない。民法だろうが刑法だろうが、勿論憲法も例外ではないだろう。そこを理解せず「憲法9条は変えてはならない」と言いつつ「民法772条は改正すべきだ」などという所謂人権派がいるのが不思議である。こういうのを偽善的と言う。