安部首相VS毎日新聞

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…きっかけは安倍首相のフェイスブックの投稿だった。

安倍首相が13日の毎日新聞のコラム「水説」で原爆犠牲者追悼式典での挨拶の中で昨年は「私達日本人は、唯一の戦争被爆国民」と言った部分を今年は「人類史上唯一の被爆国」としたのを批判した事に対して反論していた。

またコラムでは《「民族」「自衛」「宗教」「経済発展」といったもっともらしい装いをまとい、国家や組織が自己増殖しつつある。そして、個が押し潰されそうな息苦しさが広まっている。》と言う。村上春樹氏の言葉まで引用して御苦労な事である。

要は安倍首相が「個よりも国家や組織を重視して個を封じ込めようとしている」と批判したいようだ。

毎日新聞の論説副委員長のレベルってこんな程度だったのか…と呆れかえるレベルの論説擬である。

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※他国でも当たり前の事を「日本だけ」してはならない理由はない。

安倍首相のしている事は他の国でも当たり前にしている事に過ぎない。日本の安全保障に日本が責任を持つのは当たり前の話だ。他の国でもその国の国民は自分達の国を誇りに思い、愛している。それらを日本が行ってはいけない理由があるのだろうか?逆に聞きたい。

それ以前に今年と昨年の安倍首相のスピーチ、同じ部分は「コピペだ」と批判し、違う部分があればあったでこの様に揚げ足を取って屁理屈こねて自分達の主張を正当化する。とても全国紙の論説副委員長のする事ではない。こんな子供じみた言葉狩りや揚げ足取りをする暇があるなら原爆投下について調べて「原爆投下は一般市民を標的にした無差別殺人であり、戦争犯罪そのものだ。」と主張し、論証する方が万倍意義がある。

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毎日新聞の論調の所為だけなのか、それに加えて本人の思想がより強く出ているのかは判らないが、いずれにしても「安部首相のやる事なす事反対ありき」で記事を書いている様にしか解釈出来ない。新聞ではテレビと違って不偏不党の義務はない。(テレビが不偏不党とは到底思えないが)従って如何なる立場で記事にしても自由だが、この論説副委員長にはオチがある。安部首相がフェイスブックで暴露している。

昨年「被爆国民」とした部分、後日被爆したのは日本人だけではない、と指摘されたそうだ。確かにそうだ。被爆した朝鮮人や捕虜になったまま被爆したアメリカ人もいた。そこで安部首相は今年は「唯一の被爆国」と表現を修正したとの事だ。そして取材は皆無だったと言う…

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※せめて取材してから記事にすべきだろう。

つまり毎日新聞は真意を確かめもせずに記事にしていた事になる。安部首相は「取材は記者の基本」と述べている。その基本すら怠る新聞社にまともな記事が書けるのだろうか?その結果が8月13日の毎日新聞のコラム「水説」である。

一国の首相が個人のフェイスブックとは言え一新聞社の記事を批判するのは異例かも知れないが余程腹に据えかとねたのだろうか?だが、そういう背景ならばそれも致し方ないだろう。毎日新聞が全面的に悪い。

安部首相が指摘しているが、「被爆国」と言う表現をしたのは安部首相だけではない。自民党民主党問わずこの表現を使用した歴代首相は数多い。いちいち毎日新聞はその度に「個が押し潰される」と批判しただろうか?勿論していない。

毎日新聞に限らず反日左翼は一見もっともらしい装いで自らの主張を展開するが、その実はハリボテ同然で正論の前では簡単に矛盾を露呈して論理破綻を起こす。だがそのハリボテに騙されている事に気付かない人々が大勢いるのも事実だ。現在はテレビや新聞だけでなく、インターネットでも沢山の情報を得られる。同じ事件の記事でも見解が異なる事も日常茶飯事だ。多角的に見て自分なりに判断する事が肝心であろう。