その議論に意味はあるのか?

※宇宙人色々

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※人間と交流していた宇宙人(『E.T.』より)
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※友好を装って地球侵略を企む宇宙人(『怪獣大戦争』よりX星人)
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※銀河系の外から地球侵略に来た宇宙人(『宇宙戦艦ヤマト』よりガミラス星人)
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※太古に地球に来たがその姿が脱力感満載の宇宙人(『ゴジラ2000 ミレニアム』より)

現在アメリカで「地球外生命にメッセージを送る事の是非」について大論争となっているようだ。

http://www.sankei.com/life/news/150330/lif1503300027-n1.html

《事の発端は2月中旬に米カリフォルニア州サンノゼで開かれたアメリカ科学振興協会(AAAS)の年次大会で、この問題が議論された事だそうだ。これを受け、米宇宙ベンチャー「スペースX」のイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)や約70個の惑星を発見し「惑星ハンター」の異名を持つ米天文学者のジェフリー・マーシー氏らが地球外生命体に向けたメッセージ送信を控えるよう求める請願運動を始めたのがきっかけだったと言う。

マスク氏らは、メッセージを受け取る地球外生命体が善良な存在か悪意に満ちた存在かを事前に予測することは不可能だと主張。こうした“宇宙人”は米SF映画「E.T.」に登場する優しく紳士的な知的生命体などではなく、地球は瞬時に征服されてしまうという考え方で、車いすの英天才物理学者、スティーブン・ホーキング博士らもこうした説を唱えている。

これに対し、メッセージを受け取って反応を返すことができるのは地球人より高度な文明を持つ宇宙人であり、交流によって知的な恩恵を得られると考える研究者も少なくない。

地球外生命の発見を目的とする非営利団体「SETI研究所」(本部・米カリフォルニア州)のダグラス・バコッホ氏はマスク氏らの動きに対抗する形で記者会見を開き、レーダーやレーザー技術を使って積極的にメッセージを宇宙へ送る必要性を強調した。

SETI研究所によると、米SF映画「エイリアン」に出てくるような凶暴な異星生物に今更地球の存在を気付かれまいとしても無駄だそうだ。

地球人は過去70年以上もラジオやテレビの電波を宇宙空間に垂れ流し、米航空宇宙局(NASA)にいたっては地球の文化を伝える音や画像を収めたゴールデンレコードを無人探査機「ボイジャー」に載せて太陽系の外へと旅立たせている。

バコッホ氏は「これはわれわれが銀河系倶楽部に加わるための試みであり、エイリアンに侵略される危険なんて皆無だ」と語るが…》(記事一部抜粋)

現在のところ人類は地球以外の天体に生命体が存在する事を確認できていない。最近木星の衛星ガニメデや土星の衛星エンケラドゥスに液体の水の海が存在する事が発表され、生命体の存在の可能性が期待されている。
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エンケラドゥス内部の想像図。数百キロもの深さの海があるとか…?
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※太陽系最大の衛星ガニメデにも内部に海がある様だ。

但しこれらの衛星の場合は仮に海中に生命体がいても文明と呼べるものを築いている環境では無さそうなのだが…

映画の場合宇宙人の描かれ方は様々だが、地球を侵略に来る悪役としての登場が圧倒的ではないだろうか?方法も様々で例えばインデペンデンス・デイ」の様に圧倒的な技術の差を見せ付けながら問答無用で地球侵略に来る宇宙人もいれば怪獣大戦争」のX星人の様に最初は友好を装って後から地球侵略の野望を露にする宇宙人もいた。
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※こんな宇宙人には絶対に来てもらいたくない。

中には記事にもあったように「E.T.」の様な人間との交流が出来る宇宙人もいれば「コンタクト」の様に接触はスタートラインでしかなく、その後の判断を視聴者に委ねる形の宇宙人もいた。文字通りの千差万別である。勿論その映画の製作上の都合でしかないのだから考えるだけ野暮と言われればそこまでかも知れないが…

どちらの意見にも一理あり、現状ではどちらとも言えまい。

…と、言ってみたものの実際に地球外文明の存在が確認できていない以上議論そのものに意味があるのか?と、言う疑問も出てくるだろう。先ずは地球外生命の存在があるのか否か、からになってしまう。

地球外文明の数を弾き出すのにドレーク方程式と言う式が存在する。
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代入する数字には各人の主観があるので科学的事実でない限り大きく変動する事がしばしばある。しかし、0が入る事は絶対にない。この式の解答を0にしてしまうと我々の存在をも否定してしまうからだ。従って少なくとも1以上でなくてはならない。

我々の他に生命や文明と呼べるものがある天体があるのか否かはある意味では永遠のテーマであると言えるかもしれない。我々は映画や小説等で自由にそれらをイメージしているが、現実の議論が映画や小説のイメージそのもので議論している節がある様に感じる。我々の思いもよらぬ環境で生息している生命もあるかもしれないが、イキナリ何光年先のいるかどうかも判らない所へ闇鉄砲でメッセージを送るより、地球外文明が発したメッセージを探して地球で観測できる電波を解析したり、先ずは比較的手近な(と、言っても実際は遥か彼方だが)火星やガニメデやエンケラドゥスに生命体がいるのか調べる方が現実的に感じてしまうが如何であろうか?