原発再稼働の責任は誰が取るのか?

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ゴジラによる原発襲撃の悪夢が再び描かれた。

2000年の映画「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」はその設定がある意味斬新な映画であったと言える。1954年のゴジラ東京襲撃を機に首都は大阪に移され「大阪都」となり、更に東海村原発は1966年の稼働後即座にゴジラの襲撃を受け、原因が原発放射能とされた為、日本は脱原発をその時点で行っていた…と言う設定でストーリーが始まる。作中では日本は原発の穴を埋めるべくクリーンエネルギーの開発に力を注ぐが原発の穴を埋められない…と言う部分は今見ると妙なリアリティを感じる。

だが現実は映画とは正反対で大阪都」は住民投票によるものだが結果否決され、脱原発はなされず逆に鹿児島県・川内原発が再稼働する事になった。

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原発再稼働に賛否両論あるのは理解は出来る。原子力発電にもメリットもあればデメリットもある。しかも「核」と言う日本人にとっては非常にデリケートな問題である。ここで問題にしたいのは再稼働の是非ではなく、『「原発稼働の責任は誰が取るのか?」と言う点が不明確なまま再稼働する事』である。この点を産経新聞が記事にしている。

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http://www.sankei.com/life/news/150809/lif1508090035-n1.html

産経新聞原発再稼働賛成派であるが、闇雲に賛成するだけでなく、問題点も提起する所は公正な態度であると不肖筆者としては評価したい。原発を稼働させる責任は一体どこにあるのか?と言うと、実は明確な規定はない。考えられるとすれば

・最終的に国が責任を負うべき
・安全基準審査を行った原子力規制委員会が責任を負うべき
・実際に運用している電力会社が責任を負うべき
・上記3者全ての連帯責任

と、なるだろう。もっとも法律では戦争や甚大な天災などは電力会社の免責を認めている。東京電力福島第一原発の責任を逃れようとしたのは東日本大震災津波の被害がこれに該当する、と言う事にしようとしたからだ。そうだとすれば最終的には国が被害の面倒を見る以外方法はないが、それを認めない当時の民主党政権東京電力で被害者そっちのけで責任の擦り付け合いになった。確かに東日本大震災津波の被害を受けて是非はさておき原発稼働の基準は大幅に強化された。だが原発稼働の最終的な責任の所在は依然として曖昧なままなのである。ここを明確にしない限り再稼働して万が一また事故が起こった場合、福島と同じ不毛な責任の擦り付け合いが繰り返される恐れがあるのではないか?それを解決しない原発再稼働は拙速と言う批判を免れないのではないだろうか?反対派は勿論、賛成派にもここは考えて欲しい所ではある。

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川内原発の安全対策と再稼働までの経緯。

規制委の田中俊一委員長は5日の記者会見で、再稼働の判断主体を問われると「規制委が判断しなければいけない理由は何もない。ただ、再稼働して大きな事故を起こさないかどうかという意味での審査はきちっとした」と述べた。規制委としては「再稼働判断は事業者と経済産業省が担当すべきだ」と言うのが見解だから「最終的な責任の所在は国と電力会社にある。」と言う事になる。

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※普通にそれはないだろう。

一方国としては宮沢経産相「規制委が厳しい基準に適合しているかを判断した。まさに事業者が最終判断をして、再稼働に至る法制度だ」事業者に判断責任があるとの考えを示した上で、「政治判断の余地はない」と述べている。国からすれば「電力会社に最終的な責任の所在はある」と言うのだ。

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※同意した地元にも責任はあるのだろうか?

いずれにしても実際に運用しているのは電力会社なのだから電力会社の責任は免れまい。それは当然としても国にしろ原子力規制委員会にしろ、自分達に責任はない、と言うのは見苦しい。原発を稼働させようと言うのであれば、責任を逃れようとせずに自ら負う覚悟を見せてくれないと原発がある地元の住民はとてもじゃないが安心できまい。これでは「地元の同意」などそう簡単には得られまい。…もっともその「地元の同意」の定義も曖昧と言う問題点もある。一応30キロ圏内と言うが、川内原発はその全域が鹿児島県なので然程問題にはならないが、他府県にまたがる場合は「立地県でない他府県」の意向が何処まで反映されるかは未知数である。「司法判断を仰げばいいじゃないか」と思われる読者様も居るだろう。しかし原発訴訟で有力な判例とされてきたのは、四国電力伊方原発1号機の設置許可の是非が問われた平成4年の最高裁判決だ。この判決では設置許可には「最新の科学的、専門技術的知識に基づく総合的な判断が必要だ」と判示。「安全対策はあくまで専門知識のある行政の判断が尊重され、司法はその判断に不合理な点があるかどうかを審査するべき」としたのだ。この司法判断に従うならば「最新の科学的、専門技術的知識に基づく総合的な判断」をするのは原子力規制委員会なのだから、原子力規制委員会の責任も免れないであろう。そういう制度を作った国も同様…つまり3者の連帯責任しかない。

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原子力事故の国際基準。

福島第一原発の事故を含む世界での重大原発事故、即ち3例しかないレベル5以上の事故は何れも人為的なミスが原因になっている事は否定のしようがない。チェルノブイリでは杜撰な指示による無謀運転(現場が指示を無視した無謀運転とも。正確な所は当事者が被曝死した為永遠の闇である)、スリーマイルでは作業員の判断ミス、福島でも非常電源等の杜撰な管理である。福島の正確な事故原因の究明はまだだが、それが事故の一因になったのはまず間違いない。

と、なるとやはり国、原子力規制委員会、電力会社の連帯責任とする他ない。不毛な責任の擦り付け合いは即刻やめて再稼働する以上は自分達が責任を負う、と言う覚悟を以て安全管理を行うべきではないのか?そういう気概のない再稼働は却って国民の不安を煽る。そういう所も考えるべきではあろう。

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川内原発再稼働における問題点とそれに対する当事者の主張。