新「ウリジナル」?シルクロードの終点を言い出した韓国

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…これも「ウリジナル」の一環なのだろうか?

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150921-00001059-chosun-kr

韓国で開かれた学会にてシルクロードの起点は西安ではなく新羅と言う説が披露されたと言う。朝鮮日報が伝えている。

シルクロード」とは広義では欧州の大航海時代以前における東洋と西洋の交易ルートを言う。日本の場合は真っ先に思い浮かぶのはローマ帝国と唐との交易であろう。だがそもそも当時の国際的プロジェクトとして確立したものではないので起点や終点、そのルートについてはこれ、と言った明確な定義がある訳ではない。

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ルートに関してはモンゴルやカザフスタン草原地帯を通るルート東トルキスタンを横断するルートが陸路として、また紅海インド洋南シナ海東シナ海と言うルートの海路も「海のシルクロード」として扱われる事もある。一般的には かつてのNHKの番組の影響か、「シルクロード」と言うと真っ先に連想されるのは楼蘭とか敦煌などの遺跡で知られる東トルキスタン横断経路「オアシスの道」が真っ先に思い浮かぶのではないだろうか?西遊記」の三蔵法師こと玄奘マルコ・ポーロも通った道だと考えられている。

起点や終点については西洋側はローマだとかイスタンブールだとか言われている。東洋側は支那西安とも洛陽とも言われる。日本も無関係だった訳ではなく、奈良正倉院の宝物にペルシャ製のものがあったり、遣唐使随行してペルシャ人が来日した記録もある事などからその恩恵に預かっていたのはまず間違いないであろう。従って東洋側の終点は奈良・平城京であるという考えも当然成り立つ。1988年に開催された「なら・シルクロード博」と言う博覧会があり、実は不肖筆者も家族で見に行ったのだが、言うまでもなくシルクロードの東洋側の終点は奈良」と言う前提で開催されたものである。

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その奈良の東大寺の大仏の開眼供養は752年だが、開眼導師はインドの僧であった。また参列者は1万を越えていた。これについては現代日本の何処かの学生団体のデモに於ける出鱈目主催者発表の数字と違って参列者名簿が現存しており、その名簿から出された数字である。誇張でも何でもない。1200年以上前から日本はそれだけの国であった事、又シルクロード交易の恩恵に預かってそれを基に自国の文化を発展させて来た事は間違いない。

…翻って朝鮮半島からどんな文化や工芸品が西洋に輸出され、又朝鮮にどんな文化が入ってきてどう朝鮮の文化が発展したと言うのだろうか?不肖筆者は寡聞である為、聞いた試しがない。朝鮮半島で中世になっても水車一つ作り上げる事が出来なかったとか、貨幣経済が19世紀後半でも未発達であった事は聞いた事はあるのだが…?

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そもそもシルクロード」と言う命名の由来は当時支那から西洋への主な輸出品が絹糸であった事である。その命名からし朝鮮半島など眼中になかったのは明らかであるのだが、一体どんな証拠を以てそういう主張が出てきたのか?

記事ではカザフスタンのIssyk博物館のムクタロバ館長はカザフスタンの古墳から出土した『黄金人間』に関連する黄金の副葬品は、新羅の積石木槨墳から出土した副葬品と似た点が多い。新羅の人々がカザフスタンまで交流に訪れていた可能性がある」と指摘したそうだが、あくまで「可能性」であろう。しかも支那から東西に文化が伝わっただけに過ぎない可能性だってあるのではないか?

また奈良県橿原考古学研究所附属博物館の木下亘副館長は「1963年に橿原市の新沢千塚126号墳から出土した玉類、青銅製の鏡などの副葬品の大半が新羅の古墳から出土した副葬品と似ている」とした上でシルクロード文化が新羅を経て日本まで伝わった」と述べたと言うが、古代朝鮮半島南西部が日本の勢力下にあったのは史料を読み解く限り間違いない。日本発祥の前方後円墳朝鮮半島のそれらの地域に存在している事からも明らかであるように朝鮮半島の副葬品に日本の副葬品が似ている」のではなく「日本の副葬品に朝鮮の副葬品が似ている」の間違いであろう。どうも記事の文面を額面通りに受け止めるのは危険な予感がする。

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何れにしてもかつての支那と西洋」の文化交流や交易が天平文化等に影響を与えた事に変わりはない。そういう意味では今まで見てきた様に日本の平城京が終点である、と言っても良いだろうが、新羅が起点である、とは間違っても言えなさそうだ。これも韓国お家芸の嘘出鱈目捏造歪曲の産物かウリジナルなのか?どちらにせよ信用には値しない荒唐無稽な珍説の類を出ないであろう。

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