櫻井よし子氏VS民主党

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事の発端は9月27日のNHKの番組「日曜討論」での櫻井よし子氏の発言だった。

民主党は同番組内で櫻井氏がかつて岡田克也集団的自衛権行使の必要性に言及していた事、民主党共産党選挙協力が恰も連立政権樹立との誤った印象を与えるもの、として発言の撤回と謝罪を要求した。
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http://www.sankei.com/politics/news/150930/plt1509300019-n1.html

…これに対し櫻井氏は反論。
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http://www.sankei.com/politics/news/150930/plt1509300017-n1.html

これに対し民主党は再質問。
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http://www.sankei.com/politics/news/150930/plt1509300028-n1.html

…と言う展開になっている。

まず第一に問題の岡田克也の発言だが、櫻井氏も認めている通り発言当時の岡田克也の肩書は「外相」ではなく「民主党幹事長」であった。だがそこは大した問題ではない。文字通りの枝野末節…じゃなかった、枝葉末節レベルの部分であり、櫻井氏も認めて訂正している以上そこに決着は付いている。

本題の発言そのものだが、もう一度見てみよう。

「日本を防衛するために活動している米軍が攻撃された場合、日本に対する行為と見なし、日本が反撃する余地を残すのは十分合理性がある。」

「今の憲法は、すべての集団的自衛権の行使を認めていないとは言い切っておらず…」

集団的自衛権の中身を具体的に考えることで十分整合性を持って説明できる。」

「日本の利害に直接関わるような地域で、同盟国である米国が攻撃を受けた際、日本が傍観していていいのか、という問題意識はある。」

集団的自衛権憲法なり法律なりで認めるとしても、きちんと制限を明示したほうがいいだろう。いずれにせよ、より具体的な形で議論すべき」

「最後にはその時々のリーダーが政治生命を賭けて決断しなければならない」

発言者の名前を伏せていれば初めて見た人がこれらを「安倍首相の発言」と誤解しても何ら不思議がない見事に安保法の争点について言及している、としか言い様がない。議論の前提となる認識は安倍首相と岡田克也にそう違いはなかった、と第三者に判断されても致し方無い。結果的にはこれらに対する答えとして安倍首相は安保法を、岡田克也は「集団的自衛権は必要ない」と言う事になったのが国会でのこの二人の党首討論であった。どう考えても「180度正反対」である。
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※そしてやった事は嘘出鱈目の流布。

穿った見方ではあるが、岡田克也が反対論に立ったのは「政治生命を賭けて決断しなければならない」とする「その時」のリーダーが自身ではなく安倍首相であった事が妬ましかっただけではないか?とも思えてしまう。尤もこの岡田克也の発言は民主党政権誕生前である。この後民主党は政権を盗ったものの、岡田克也には首相の座は回って来なかったのだ。

同時に岡田克也「個別的自衛権の拡張という考え方で対応できる部分もあるだろう」と言う認識も示しているが、それも結局行き着く先は「集団的自衛権」そのものの概念になる。そういう意味で櫻井氏の認識が事実誤認と思えない。

また民主党共産党との協力についての櫻井氏の発言だが、志位和夫が言い出した「国民連合政府」構想は実現しても結局は「非自民」の反日連立政権そのものだ。実際にあった「自社さ連立政権」は政権獲得と言う目的だけで成り立ったと言って良いが、「自社さ」が政権獲得であったのに対して志位和夫の構想は目的が「非自民」「安保法廃止」、それと実行者が変わっただけで基本的な構図は変わりない。故に櫻井氏の指摘はそれと同じ轍を踏むのではないか?と言う言わば「懸念」でしかない。ここまで来れば単なる言い掛かりでしかない。少なくとも公党が一個人に対してする事ではなかろう。

こんな不毛な論争を仕掛けて名前を落とすのは民主党ではないのか?やっている事は最早言論弾圧でしかない。この手の言論弾圧と言い、自身の目的を暴力で実現しようとしたり、とやる事なす事共産主義者のそれである。だから共産党が秋波を送ってきたわけだ。成程成程。最早民主党に「民主」を名乗る資格はない。単なる「日本の癌」である。

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民主党のやる事なす事日本の為にならない。