誰のためのノーベル平和賞なのか?

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チュニジアの「国民対話カルテット」の受賞に祝意を表したい。

…一体誰が受賞するのか?その行方が「変な意味」で注目されたノーベル平和賞結果的にはチュニジアの「国民対話カルテット」が受賞することになった。チュニジアは「アラブの春」の始まりの場所であったのだが、その後の混乱で内戦状態寸前にまでなっていた。そんな状態だったチュニジアの政局安定と民主化に対する貢献が認められての受賞、との事である。

チュニジアは「アラブの春」で唯一、民主化に成功した、と言える国だとされている。ノーベル平和賞に欧米の「政治的思惑がある」と言うのであれば、その後のシリア内戦等で発生した難民の救済自体よりも「対話で解決」と言う平和的解決法で「難民を出さない」事に意味を見出だした、と言う事か。口悪く書くならチュニジアの国民対話カルテットを模範にして対話で対立を解決して難民を欧州に来させるな。」とでもなるのか。

憶測でしかないそういう政治的思惑はさておき「自由と民主主義」が「人類普遍の価値観」とするならば自称有力候補の「日本国憲法9条」なんぞよりも「対話」と言う「平和的手段」で内戦寸前の状況から民主的政府を発足させるのに尽力した「国民対話カルテット」は平和賞に相応しいと筆者は思う。因みに日本の国際協力機構(JICA)が4年間にわたってチュニジア民主化プロセスを支援してきた、と言う。チュニジア政府高官を日本に招いてガバナンス向上研修を実施したり、政治腐敗を撲滅するための方策を議論したりしていたそうだ。
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※実は日本も彼等を支援していた…誇るべきナイスアシストであろう。

…だとすれば日本にとっても「日本国憲法9条」にノーベル平和賞授与よりもこれは意味があるのではないか?日本としてもこれは素直に祝福すべき事であろう。

…こういう事は憲法9条にノーベル平和賞を」と言っている人間には理解不能なのだろう。そんな連中の事を書いた以下の記事、明らかに憲法9条にノーベル平和賞を」と言う活動の異常さが際立つ、と言えるだろう。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151010-00000079-sph-soci

何故韓国の国会議員が推薦人にいるのか?何故韓国人がこの運動に参加しているのか?内政干渉そのものではないか。これを当然だと思ってはいけない。要するに憲法9条にノーベル平和賞を」と言う活動は「韓国の日本に対する内政干渉を誘引する行為」であると言う事だ。更に推薦したのは韓国の団体だと韓国・中央日報が1月に報道している。

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http://s.japanese.joins.com/article/371/195371.html

要するに憲法9条にノーベル平和賞を」と言う活動の実態は「韓国の日本に対する内政干渉を誘引」すると共に「日本が憲法9条を護持する事は韓国の国益に資する」と言う事に他ならない。こんな馬鹿な話があるか。従って憲法9条にノーベル平和賞を」と言う活動に賛意を示す者はこの時点で全員売国奴であると言っても差し支えないであろう。この活動に参加する韓国人よ、そんなにノーベル賞が欲しいならば自国の憲法を日本の憲法9条と同様に改正して自国の為に活動して貰いたい。自分達の我儘勝手エゴイズムに他国を巻き込まないで貰いたい。

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憲法9条は支那朝鮮の為にしかなっていないのが現実。

記事にある様に「東アジアに平和共同体をつくり、9条の精神を共有していくことにこそ活動の意義がある」と言うならばまず真っ先に支那の海洋侵略をその「9条の精神」とやらで止めてから物を言え。支那朝鮮の憲法日本国憲法9条と同一の条文を作らせて遵守させてから物を言え。それが出来て始めて受賞資格が出来るのではないのか?それすら出来ない憲法9条がノーベル平和賞には値しないのは明白であり、それでも推薦する活動それ自体が愚劣かつ醜悪なものでしかない。こんな連中を持ち上げる記事を書く方もどうかしている。個人の「思想信条の自由」はあるが、異論反論は支那朝鮮に憲法9条と同一の条文を自国の憲法に入れさせ遵守させる、またその「9条の精神」とやらで支那の侵略を止めてからにして頂きたい。先ずは結果を出してからだ。…出来るのであれば、だが。
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※「憲法9条の精神」とやらでこれらを何とかしてみろ。…出来るのであれば。

…と、言う訳でこういう愚劣かつ醜悪な活動は今年で終わりにするべきである。韓国等の為に憲法9条を護持するなど愚の骨頂だ。またノーベル賞は韓国の為でなく人類の為の賞なのだから。
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※これが理解できないから「憲法9条にノーベル平和賞」なんて愚劣な事を言い、醜悪な活動をするのだ。