ゴジラと北朝鮮

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※調子に乗りすぎ。

北朝鮮が「水爆実験」と称する核実験を行い、世界中から非難の声が上がっている。当然と言えば当然なのだが、我が国は世界で唯一原爆の被害も水爆の被害も知っている。以下は北朝鮮の核を放棄させる先頭に立つのは我が国であるべき、と主張する記事である。
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http://goo.gl/DFfoIs
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※当初は「水爆大怪獣」と言う触れ込みだった。
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※戦争を思い出せる描写も随所に…

1954年の史上初の水爆実験で日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が死の灰を浴び、日本中が騒然となった。これに抗議すべく製作されたのが「ゴジラである。

水爆実験によって海底に潜んでいた太古の恐竜が変異し、人間に復讐しにやって来る。と言う設定だった。ゴジラ」の原点が「反核」にあるならば映画での悪役はゴジラではなく人間であると考えるべきであろう。

第一作の主演だった宝田明さんは映画のラストで抹殺されるゴジラ

「何で人間がここまでゴジラを痛め付けなくてはならないのだろう?」

と、感想を持って涙したと言う。同様の感想を持った人は当時少なからずいたらしい。
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※逸話1。映画を見た後、本当に時計台が壊されていたのか確認する人が続出した。
※逸話2。映画で時計台を破壊された事に立腹した銀座和光はその後暫くここで東宝にロケをさせなかったそうだ。
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※「バカヤロー解散」直後だっただけに当時このシーンに拍手喝采だったとか。

しかし日本でも原発が稼働し出した60年代以降、ゴジラは「核の恐怖の象徴」と言う性格は薄れて徐々に正義のヒーローへと化していく。70年代では明らかな正義の味方になってしまうが、この辺りに「核」に対する日本人の視点がリンクされているのが興味深い点でもある。
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※「流星人間ゾーン」でも明らかな正義の味方だった。

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※核の使用の愚劣さ、バブル経済への警鐘などテーマ性は多彩だった。

90年代では映画公開年の世相を反映させる様にもなり、娯楽と共にある種の「警告」も含まれる映画になっていく。バブル経済に浮かれる日本への警告をテーマに含んだ「ゴジラvsキングギドラ環境破壊をテーマにした「ゴジラvsモスラ等がその典型であろう。

今年は久しぶりに日本版ゴジラの公開が予定されている。その前が2004年だったから実に12年ぶりだが、その間に日本は再び「核の恐怖」と正面から向き合う事になっていた。言うまでもないが、福島第一原発事故である。原発再稼働の是非を含めてこの原発事故で国民の原発、そして「核」への見方は大きく変化した。今回もゴジラから「核」に対する何を感じとるのか?それを考えるきっかけになるテーマを期待したい。

さて、北朝鮮。知っている人は知っている話だが、北朝鮮の特撮映画「プルガサリ」。この映画の特撮担当は「ゴジラ」の特撮チーム主演怪獣「プルガサリ」を演じたのも当時ゴジラを演じていた薩摩剣八郎さんだった。ゴジラ北朝鮮奇妙な縁と言えば奇妙な縁なのだが、北朝鮮も「ゴジラ」から何かを感じる事が出来ればこの御時世に核に固執して更なる国際的孤立を招くこともなかっただろうに。たかが映画、されど映画である。
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※「核を使う愚劣さ」を学んでからそういうことは考えろ。

だが、日本が北朝鮮の核にどう対応すべきなのか?というのは現実の問題である。志位和夫の様に「リアルな危険はない」等と妄想に浸った愚劣な思考を信じているのでは話にならない。しかもこの民族は約束事を守らないのは日常茶飯事、と言うオマケ付きの世界で最も厄介な連中である。こんなのが隣とは実に不幸な話だが、こればかりはどうにもならない。誰かがどうにかしてくれる訳でもない。結局は日本人が自身の為に考えて行動する他ないのである。
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※他に総理を任せられる人材って今の日本にいるのだろうか?

在日特権を始めとする数々の朝鮮人優遇、もとい日本人への逆差別、パチンコのカネの行方、そして「憲法9条」が作り出す平和、と言う妄想による国益の棄損や他国への無関心…改善点を挙げていけば文字通りキリがないが、それらを実行すべく日本人が目覚める時はまさに今である。それが出来る人間だけに政治を任せるべきであるのは言うまでもなかろう。
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※こういう声に耳を傾けるべきであろう。