転載「阿比留瑠比の極言御免」

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憲法改正大いに結構。

今週の産経新聞「阿比留瑠比の極言御免」は安倍首相が国会答弁で憲法改正について

「在任中に成し遂げたい」

と明言した事を受けてのものであろう。

そもそも自民党の党是は憲法改正、と言うか「自主憲法制定」であり、そういう意味では自民党内の「護憲派」と言うのは異端であると言える。…勿論個人の思想信条の自由と言うのはあるものの、やはり違和感を感じざるを得ないであろう。

「21世紀という新しい時代にふさわしい憲法を、自分たちの手でつくるべきだ。憲法改正を政治日程にのせるべく政治的指導力を発揮すると決心した」

これは最近の安倍首相の発言ではない。第一次政権発足直後の発言だそうだ。安倍首相の姿勢はブレていないと言って良かろう。善し悪しは別にして見解の統一もままならず、「批判の為の批判」ばかりで議論の土俵にすら上がれない民主党とは大違いであると言える。
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http://www.sankei.com/politics/news/160303/plt1603030055-n1.html

良くも悪くも日本国憲法は施行以来未だに一字一句改正された事がない稀有な憲法である。しかし、変化を恐れて自分達の発展を停滞させる意味が何処にあると言うのだろうか?そもそも憲法草案が出された事はあっても実際の「改憲案」は出ていないのが実情である。「憲法改正議論」だ何だと言っても「現実的な改正案」を前にした議論など行われてもいないのである。時代の変化に憲法を始めとする「自分達の在り方」を合わせなくても良いとする根拠とは一体何か?少なくとも改憲議論さえ許さない」と言わんばかりの考えだけは絶対に間違っていると言えるだろう。
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※先日の「朝生」でも賛成が反対を上回った。

仮に憲法9条を改正して自衛隊を正規の軍隊に改編して「国防軍」と名乗った所でそれがどうして侵略戦争開始の狼煙」になると言うのか?百歩譲って護憲派の言う「憲法9条の平和主義」を認めるとしてもそれが形を変えて草案に活かされると言う発想は出来ないのだろうか?折角憲法の在り方について現実的な議論をする好機が眼前にあるのである。実際に実現できるかどうかは別にしてこの機会を「何もせずに見過ごす」事は最低最悪の愚行である事だけは確実であろう。不肖筆者としては憲法改正には賛成なので当然の事ながらそういう主張をする候補者や政党に投票する。憲法改正反対でもそれは個人の思想信条の自由だ。だが例えそうであっても「理想論や空想論」ではなく「現実的な観点からの」議論が国民全体で出来る事を望むのである。
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※他国では必要があれば憲法改正は当然、と言う現実は認識するべきである。