高市発言に抗議した連中に公開討論申込み!受けないのは卑怯者でしかない。

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※是非とも実現してほしい討論。

放送法遵守を求める視聴者の会」が面白い提案をしていたそうだ。
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http://www.sankei.com/entertainments/news/160309/ent1603090008-n1.html

…先月末に岸井成格田原総一朗鳥越俊太郎などが「私達は怒っています」などと高市総務相の発言に抗議する会見を行ったが、彼等を相手にその高市発言や放送法4条の解釈の是非などについて3対3での公開討論を申し込んだと言うのだ。

放送法遵守を求める視聴者の会」からはカリフォルニア州弁護士・タレントのケント・ギルバート氏、経済評論家の上念司氏、文芸評論家の小川榮太郎氏が出席すると言う。

…焦点は高市発言に対して抗議会見を行った連中がこの申し出を受けるか否か?である。結論から言ってしまえば

「言論人としての矜持があるならばこの申し出を拒否する選択肢はない」

…である。
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※偉そうな事は討論に応じて勝ってから言え。

…そもそも自分達の主張をするだけして反論は一切無視、と言うのは一般市民のブログなら兎も角、「言論人」としては有り得ない対応である。それで飯を食っているのであれば自身の意見に対する異論反論に答えられてナンボ、ではないのか?更に「その主張」が誰もが使う事が出来ない「公共の電波」を使って発信される立場の人間であれば尚更である。そもそも言論の自由」とは「言いたい事を言いっ放し」を意味するものではない筈だ。これを受ける事が出来ないのであれば岸井成格田原総一朗は「言論人」の看板を降ろすべきである。いや、そう名乗る資格など微塵もないと言い切って良いだろう。「言論人」ならば「自身の意見に反対する意見の論者と正々堂々討論出来て」ナンボなのである。そうでなければ自身の意見に説得力を持たせる事は出来まい。言うだけで良いなら誰であっても「ジャーナリスト」や「アンカー」と名乗っても良い。「プロ」であるからこそそう名乗れるのではないのか?プロならプロらしく振る舞え。

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※言論人ならば自身の発言に責任を持て。

特に岸井成格、「放送法遵守を求める視聴者の会」を

「低俗」「品性どころか知性のかけらもない」

と言うならばそれを万人に証明して見せろ。勿論証明する方法は彼等を相手に討論して全員論破する他ない。やってみな。放送法遵守を求める視聴者の会」の何が「低俗」なのか?また岸井成格の言う「知性」とやらがどんなものなのか?是非とも見せて貰いたいものである。この男は同会からの公開質問状からは逃げたが、周りにお仲間がいると吠える卑怯者でしかない。そんな男に一体何が出来るのかは大いに疑問だが、出来る事と言えば精々この討論申込にも「出鱈目な理由を付けて」「逃げる」事位のものであろう。その他の連中も所詮目糞鼻糞レベルの同じ穴の狢でしかない。放送法遵守を求める視聴者の会」から出席を予定している面子を見ればその時点で勝敗の行方など、賭けの対象にもならない程明らかである。
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※この方が「放送法遵守を求める視聴者の会」に参加している意味を考えるべきだ。

個人的には恐らく連中は公開討論には応じないのではないかと見ている。その場合は「言論人失格」と烙印を押して構わないと言って良いだろう。それでも連中の言う事を支持するのは個人の自由だが、実態はかくの如し、である。それでも連中の言う事を信用出来るのだろうか?少なくとも不肖筆者にはこの連中の言う事は信用ならないし間違っても支持出来ない。所詮反日左翼の思想に染まってしまえばそんな程度にしかならないのである。
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※所詮本音はコレだろうが。
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※この国民の声も反証して貰いたい。