志位和夫クンのブラックジョーク

イメージ 1


※最近はブラックジョークがお好きらしい。

志位和夫クン、ブラックジョークも程々にしたまえ。
イメージ 2


http://www.sankei.com/politics/news/160310/plt1603100041-n1.html

志位和夫は野合批判を

野党共闘に対して自民党側が危機感を持ちだし、脅威に感じ始めた表れだ」

と述べたそうだが、自民党は別段脅威とは思っていまい。単純に事実を述べただけではないのか?寧ろ事実上志位和夫が「国民連合政府構想」撤回に追い込まれているのが実際の所ではないのか?この者も御都合主義でしか物事を語れないらしい。

イメージ 3


イメージ 4


※デマで国民を煽動するのは共産党の得意技。

更に自民党の「野合」や「共産党が主導」との批判を

「レッテルを貼るやり方」

と批判したそうだが臍で茶が湧く噴飯ものの詭弁だ。では安保法を「戦争法」等と言うのは詭弁、レッテル貼りの類でなければ一体何だと言うのだろうか?また野党5党が安全保障関連法廃止で結束していることを挙げ、

「国民的大義を持っている」

とは言うが共同通信が2月20、21両日に行った世論調査では、安保法について「廃止するべきではない」が47.0%で、「廃止するべきだ」は38.1%だった。志位和夫クンの言う「国民的大義」とは一体何なのか?「少数意見尊重」と言うならばそれは民主主義の理念と相容れない。流石党首を選挙で選出しない共産党の言う事は一味も二味も違う。

共産党が主導している」との指摘には、

「主導しているのは市民、国民の運動だ。これに応えて野党は結束している」

ではこれはどういう事なのだろうか?
イメージ 5


イメージ 6


※ではこれも説明して頂きましょう。

共産党が協力…ではなく煽動しているからこその結果ではないのか?既に多くの国民は見抜いている。気付いていないと思っているのであればそれは間違いだ。共産主義社会では庶民は指導されるべき無知蒙昧な存在なのかも知れないが日本国民はそこまでバカではない。そういう発想を持ち込む事自体共産党が国民を本音ではどう見ているのか?それが伺える。

日本では思想信条の自由、言論の自由が保障されている。だから安倍政権を批判するのも自由だが、あくまでそれは「正当な根拠があれば」の話であって志位和夫クンの言う事は

「まずはそれを鏡に向かって言ってみてはどうか」

と言うレベルでしかない。そんな程度だから国民の支持が得られないのだがそれすら理解出来ない器量では一国の指導者は務まらない。彼是言う前にまずは党首を選挙で選出するとか、党首の任期を明確にするとか、他党を批判する前に共産党が行うべき事はあるのではないか?かつてのソ連や現在の支那の様な国家の在り方を絶対多数の国民は望んではいない。批判と妄言の羅列だけでは国民は付いてこない。志位和夫クンにそういう認識はあるのか?ないのであれば所詮共産党の言う事は「反対の為の反対」「批判の為の批判」でしかない。そのレベルの批判こそ

「取るに足らないちゃちな攻撃」

でしかないのである。
イメージ 7


※本音がよく出ているツイート。