国会議員に読ませたい敗戦秘話~支那朝鮮に迎合する野党メディアの怪

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「国会議員に読ませたい敗戦秘話」安倍首相の戦後70年談話にスポットを当てた記事が出ていた。
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http://www.sankei.com/premium/news/160415/prm1604150005-n1.html

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※実に気味の悪い放送であった。

昨年出た「安倍談話」には「侵略」「植民地支配」「反省」「おわび」と言う語句が入るかどうかが焦点であった。安倍首相の戦後70年談話の意向を知った支那は露骨に村山談話の踏襲を要求してきた。この時点で明らかな内政干渉そのものでしかなかったが、その様に支那を批判する声は皆無に近かった、と言える。それどころか民主、共産、社民と言った野党、朝日、毎日、東京と言った新聞も同様に安倍談話に注文を付け始めたが、何故かそれらは支那の言い分を踏襲したもの、と言っても過言ではない内容だった。

これは今に始まった話ではなく、60年安保の際も同様だったと言うから呆れる他ない。親玉がソ連だったか支那であるかの違いだけで、やっている事、即ち「言論の自由」の名を借りた共産主義勢力の代弁機関である事は今も昔も変わりない、と言う事か。そんな連中が「言論の自由」とか「思想信条の自由」、「報道の自由」等を振りかざして国民に有害な情報を垂れ流しているのは一種のブラックジョークであろう。そもそも共産主義にそれらの「自由」など最初から存在しないのだから。
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※安倍首相の作戦勝ちだった。

…だが、安倍首相はそれらの語句を取り入れながら巧妙に連中の要求をかわした談話を作り上げたと言える。安倍首相の作戦勝ちであった。その上で安倍談話を出す意味で一番の肝、と言える部分もしっかり主張していた。

「戦後生まれの世代が今や人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私達の子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

支那朝鮮、更にそれの代弁機関のメディアの必死のディスカウント工作にも関わらずこれで多くの国民の共感と支持を得る事が出来た。他の首相、例えば「悪夢の民主党政権」の首相であったなら、間違いなく支那朝鮮、そしてその代弁機関のメディアの思惑通りとなって日本は永遠の謝罪を強いられる事になっていたに違いない。そうであれば半ば支那朝鮮の属国になっていたも同然である。安倍首相がそういう危機から日本を救ったのだ、とも言える。

「いかなる歴史観に立とうとも、祖国のために命をささげた方々に感謝と敬意と追悼の意を表することは当然です。戦争の解決は国際法に基づく平和条約がすべてであり、未来永劫謝り続けるのは違うと思います」

自民党の稲田政調会長の言葉であるが、特に

「いかなる歴史観に立とうとも、祖国のために命をささげた方々に感謝と敬意と追悼の意を表することは当然」

これに不満や異論があるのであればそれの何がどう間違っているのか?論証して見れば良い。
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靖国神社に参拝するのは政治家の義務であるとも言える。

「国家の為に命を捧げた人々を祀るのは戦勝国敗戦国問わず国家として共通の権利であると共に義務である。」

そういう考えが当然であるからこそ、靖国神社は今に至るまで戦没者追悼施設としての意味合いがあるのである。裏を返せば支那朝鮮、反日左翼の様に靖国神社参拝を批判する連中は日本を「国家」として認めていないに等しい。そんな連中に配慮する必要が一体何処にあると言うのだろうか?故に靖国神社に参拝しない国会議員などその地位に値しないのである。
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※安倍首相が海外受けが良い理由を批判する前に考えてみてはどうか?