「保育園落ちた~」ブログの裏に潜む赤い影

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※ちょっと前に話題になったが、文章は下品そのものだった…

ちょっと前に「保育園落ちた~」なるブログが話題になった。随分と品のない言葉遣いではあったが、何故か国会質問で取り上げられ保育園認可は地方自治体の権限事項なのにこれまた何故か国会前でデモが行われたにも関わらず、保育園より韓国人学校を優先させようと目論んだ舛添要一には何故か抗議しない、と言う不可解な展開を辿った。そういう流れに違和感を感じてはいたのだが、杉田水脈氏のこの記事を読んでそういう違和感の正体が明確になった思いである。
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http://www.sankei.com/smp/life/news/160702/lif1607020002-s1.html

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※何故か批判されなかった…
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※断っておくが安倍政権が待機児童問題に無為無策だった訳ではない。ピークは民主党政権時。

杉田水脈氏は

自治体で児童福祉に取り組んでいた立場からすると、この論争は前提条件が間違っていると言わざるを得ません。》

と指摘する。その理由は保育事業は「福祉施策」であり、自力で普通の暮らしを営むことができない人に対して、税金を原資に支援することを言う、と指摘する。障害者福祉然り、低所得者福祉然り、高齢者福祉然り、そして児童福祉然り-

つまり、保育事業は「本来ならば家庭で保護者が子育てをする」という大前提の上で、何らかの理由で子供を保育することができない家庭を支援する施策と解釈されるべきであり、それ故に保育所に入る為の入所基準がある、と言う事になる。故に「保育園に落ちた」ということは「より必要度の高い人がいた」と言う事実を意味する訳だと言うのだ。更に杉田氏は

《「自助・共助・公助」の順番を間違えてはならない》

とも指摘する。確かにその通りで「何でも公助」では財源が幾らあっても足りないし、そうなると「自助」と言う精神は薄れて行くであろう。だが、これこそが「本来ならば家庭で保護者が子育てをする」という大前提、日本と言う国が今まで培って来た価値観の破壊に繋がると杉田氏は指摘する。

保育所を義務化すべきだ」とまで主張する人間もそれなりにいるらしい。そしてそれは多くの日本人女性に支持されているとも言う。だがその背後に潜む大きな危険を杉田氏は指摘する。

《子供を家庭から引き離し、保育所などの施設で洗脳教育をする。》

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※国会議員の子供が庶民の子供より優先して保育園に入れる筈はない…
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※右の白いプラカードに何故か安保法反対の文句が透けて見える気が…

旧ソ連などはこんな事をしていたのだと言う。結果的には失敗だった様だがそんな事を日本でされたのでは堪ったものではない。だが、不肖筆者自身も体験したが小学校から日教組などによる弊害は既に発生している。待機児童問題の対策は必要だが、保育園を作って待機児童を受け入れればいい、と言うだけの問題では無さそうだ。共産主義の様な誤った思想で洗脳するのではなく、「譲り合いの精神」や「他人に迷惑をかけない」、「正しい礼儀作法」などをキチンと教育出来る環境も同時に必要、と言う事なのだろう。

…今回の参議院選挙で有権者デビューする大学生が不肖筆者にこんな事を言っていた。

「水道水が直接飲めるのは日本くらいなんですってね。それだけでも日本人に生まれてきて良かったなーと思います。」

そういう思いまで破壊するのが共産主義と言う狂った思想である。目先の甘い言葉に惑わされてはならない。物事の本質と優先順位は間違えてはならないのである。件の「保育園落ちた~」に賛同する人ほど杉田氏の記事を読んで一考して頂きたいものだ。
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※「何でも公助」で「自助、共助」の精神を忘れるのはこういうこと。