週刊文春VS鳥越俊太郎 その2

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※やはり東スポのこの見出しは煽りが効いている…
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週刊文春の当該記事。

一つ前の記事「週刊文春VS鳥越俊太郎」でも触れた通り、21日発売の週刊文春に掲載された

「『女子大生淫行』疑惑  被害女性の夫が怒りの告白!」

なる記事、これを受けて鳥越陣営は名誉毀損及び公職選挙法違反で週刊文春を告訴した。他人の疑惑に関しては「説明責任を先ずは果たせ」とか如何なる批判をしても「報道の自由」と言う割には自分に付いて回った疑惑には「問答無用の法的措置で言論封殺を狙う」とは呆れるばかりである。こういう醜悪な対応をしておいて何が「説明責任」「報道の自由」なのか改めて鳥越俊太郎を問い質したい所ではあるが、訴訟それ自体は左翼お得意の「スラップ(嫌がらせ)訴訟」と断じるのは池田信夫である。
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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160722-00010009-agora-pol

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鳥越俊太郎の弁護士はどちらもスラップ訴訟がお得意らしい。
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池田信夫氏もそういう被害に遭っている模様だ。

スラップ訴訟。自身を批判する者を名誉毀損として告訴する批判者への嫌がらせ以外の何物でもない。所詮は「私は潔白だから裁判を起こした」というアリバイづくりでしかないのだろうが、何故か原告には左翼思想の持ち主が並ぶ。今回の鳥越俊太郎もそうだが、慰安婦捏造報道での植村隆の例もあれば、池田信夫氏自身もそういう訴訟を起こされている。普段は「言論人」を自称していながら自身が批判の矢面に立つとその批判に反論すること無く「事実無根」と根拠も示さず断定して「名誉毀損」で訴訟を起こして同様の批判をする者を萎縮させようとする。「言論人」を自称するなら言論には言論で返すのが「言論人」としての筋であるが、それすら出来ないのが左翼思想の自称「言論人」である。鳥越俊太郎に限らずこんな事をする連中に大きな顔をさせるから左翼の異常思想が世間に蔓延するのである。

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※だったら自分の口で論証してみろ。
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※今のところ↑…と、言いたくもなる醜悪な対応である。

鳥越俊太郎が「ジャーナリスト」であるならまだしも東京都都知事選挙に立候補している以上、その扱いは公人である。当然ながら有権者が「鳥越俊太郎に投票するか否か?」と言うのは「公益上の判断」以外の何物でもなく、その判断を阻害する言動こそが問題であると言い切って良いのだが、そういう公益よりも一個人の名誉が大事だと言うのであれば「何故事実無根なのか」キチンと論証してから訴訟に臨むべきである。少なくとも参議院選挙の最中に週刊文春に共同通信記者時代の経費の不正使用疑惑を報じられた青山繁晴議員はその尽くに反論した上で訴訟に踏み切っているのだが…同じ「VS週刊文春」でも鳥越俊太郎とは大きな違いである。
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※文春以前に青山氏自身がその件に関しては言及している。スクープではないのだ。

池田信夫氏は

《こういう下らない訴訟が頻発する背景には、日本の裁判所が名誉毀損に甘すぎるという問題がある。アメリカでは、明白な事実誤認がないかぎり、名誉毀損は認められない。合衆国憲法修正第1条に定める表現の自由は、最優先の権利だからである。》

と言う。勿論アメリカと日本の「名誉毀損」と「表現の自由」のバランスを同列に論じられるか?と言う問題はあるにはあるが、「批判」と「名誉毀損」の違いは最低限認識するべきであろう。同様に「批判」と「差別」も異なるものだが、それを理解していない人間は意外に多いようだ。…特に左翼だが。また、「権利」は自分以外の他人に同様の「権利」を認めて成り立つのが民主主義社会である。自分の意に沿わない意見を国家権力を用いて封殺するのはファシズムでしかなく、ヒトラー毛沢東金正恩などの様に「自分が権力を握ってそれを行う」か、鳥越俊太郎植村隆の様に「国家権力にそれをさせるか」の違いしかない。左翼連中は自身を批判した者に対して「差別だ」「名誉毀損だ」等と言う前に先ずは鏡に向かって意見を言うべきである。
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※文春に対する鳥越俊太郎の対応を一言で表すとこうなる。