内部文書で明らかになった支那の日本への内政干渉

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※能書き垂れる前に国際法の何たるかを学んでからにしてはどうか?

支那人民解放軍の内部文書が日本人ジャーナリストの手に渡った、と言うが、その内容は実に興味深いものであると言っても過言ではないだろう。
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http://www.news-postseven.com/archives/20160831_438093.html?PAGE=1#container

その中では「日本の核武装」を極度に警戒し、その対策として特筆すべきは
「日本国内の反核勢力の支持」という言葉を用い、「日本国内では反核の立場と発言力は一定の社会的基盤を築いている」として、「民間の反核組織に適当な支援を提供すべきだ」と主張しているのだと言う。これが内政干渉でないなら一体何だと言うのだろうか?それ以外の適切な表現はないと断言して良い程の行為である。「核」と名が付けば核兵器はおろか、原発でも何でも「反対」しか言わないこれらの連中が支那(や朝鮮)の「核」には何も批判しないのはそういう理由か。かつて冷戦期に

米帝の核は汚くて危険だがソ連の核は安全」

なんて言っていた阿呆共が居たそうだが、自身の思想信条ならともかくチャイナマネーを貰って「反核」なんて言っているのであればそういう連中同様の「軽蔑されるべき輩」でしかない。

文書では核兵器製造に必要な条件、として

(1)豊富な資金
(2)国際的にも先進的な科学技術
(3)世界一流のロケット技術
(4)核兵器製造の大量の原料

を挙げ、「日本にはその全てが備わっている」と結論しているそうだ。だから昨年10月の国連総会では、支那軍縮大使傅聡が

「日本が保有する核物質は核弾頭千発以上に相当する」

「核セキュリティーと核拡散の観点から深刻なリスクを生んでいる。(プルトニウムや濃縮ウランなどの核物質)所有量は正当な必要量をはるかに超えている」

と批判したが、この発言も支那側の日本の核武装阻止対策の一環なのだろう。それだけ支那が日本の核武装を恐れている何よりの証左ではあるまいか。と、なれば「憲法改正」「核武装」と言うのは支那の増長を止める有効な「手札」になり得る、と言う事である。日本がその気になれば短期間で核兵器の製造が可能なのはバイデン米副大統領の御墨付きだ。しかもバイデンがその言葉を向けたのは他ならぬ習近平である。バイデン発言は勿論額面通りの意味だけではなかろう。「日本人を本気で怒らせるとどうなるか?」はアメリカも支那もその身で体験している筈だ。その意味ではバイデンは「引き際」を示唆したと解釈する事も不可能ではないが、そうだとしても習近平の様な小物ではその意味は理解出来ないのであろう。
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支那には警告も「馬の耳に念仏」だった。

また内部文書は「日本の核兵器製造の目的と動機」について、4点にわたって論じていると言う。

第1には

「日本は世界の大国としてアジア太平洋地域において主導的な役割を果たそうとしている」

というもの。日本は戦後、経済発展が著しく、1980年代には米国に次ぐ世界第2の経済大国にのし上がり、

「日本の右翼勢力が日本の軍事大国化を進めようとする昔日の野心を燃え上がらせている」

ためだ、と説明する。

第2は日本が国連安全保障理事会常任理事国入りの障害を取り払うためだ。なぜならば、現在の5常任理事国、米英仏露支の5か国はすべて核保有国であることによる、らしい。

第3には、日本と対抗する国を軍事的に威嚇するため。

第4は、日本国内の経済不振が続くなか、核兵器保有することで、国内矛盾を転化するためだ。内部文書は、ここでも「右翼勢力」の意図が反映されていると主張するが、その「右翼勢力」について、具体的な説明はないと言う。…説明出来なくて当然だ。支那の言う侵略を美化して日本を軍国主義の国にしよう、などと言う「右翼勢力」など最初から存在しないし、そもそも北朝鮮と違って日本が核兵器保有したからと言って国民が喝采する訳ないのは論を待たない。北朝鮮風情とは根本的に違うのである。支那人民解放軍は自分達の物指しでしか物事を語れないのか?それとも日本と北朝鮮の区別も付かない程愚劣なのか?
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※こんなのと同一視では迷惑この上ない。

要するに支那は妄想と事実誤認を前提に日本の核武装を恐れている、と言う事である。これがかつて

「彼を知り、己を知れば百戦危うからず」

と後世に残した孫子の兵法を生んだ国の成れの果てなのであろう。軍がこんな阿呆共の集団では孫子もあの世で嘆いているだろうし、現在に生きる我々日本人から見ても憐れむ他ない程だ。

だが、

「核に関する各種突発事故に対応できるように準備しておくこと」

「日本の核武装はわが国(支那)にとって、百害あって一利なし」

「軍内の各部署では訓練を強化し、有効な反撃を加えることができるように日ごろから備えておかなければならない」

と、日本との戦争に備えよ、と言わんばかりに文書を締め括っているのだと言う。こっちにその気がなくても向こうはその気がある。これで憲法前文の言う「日本が信頼すべき公正と信義」はこの国の何処にあって何がそうだと言うのだろうか?「憲法9条の平和主義」はその前提からして既に存在していないのが現実である。
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※隣にナチスがいるのに精神論で国家の安全と独立は守れない。