G20で恥を世界に晒した習近平

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杭州で開かれたG20首脳会議の関連会議「ビジネスサミット」で、講演した習近平が古典から引用した語句を読み間違えていたらしい。
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http://www.sankei.com/world/news/160905/wor1609050029-n1.html

習近平は講話などで古典の引用を好んでいるが、今回のハプニングによりスピーチライターの原稿を読んでいるに過ぎないことが裏付けられてしまった格好になる。支那はこのG20会議を成功させるためにあらゆる努力をしてきた模様だが、習近平自身で恥を世界に晒しているのでは世話ないと同時に壮大な皮肉である。

習近平支那の改革開放に触れた際、「通商寛農(貿易を促進し農政にゆとりをもたせる)」との語句を春秋時代の歴史書「国語」から引用。だが実際には「寛農」を「寛衣(服を脱ぐ)」と言い間違えた。支那で使用されている簡体字の「農」と「衣」は形が似ているため、こうなってしまったのだと言う。

支那ネットで

「彼は原稿の内容に関心がなく、何が書いてあったとしても取るに足らないことだった」

「彼の威信への打撃は少なくない」

「全国民に謝罪すべきだ」

「(習近平は)服を脱ぎたいと思っていたのか?」

…等とツッコミが入るのは当然の成り行きだが、検閲している当局が躍起になってそういった投稿を削除していると言う。…だが、幾ら頑張っても既にこの様に日本にまで話は広がっているのだから支那共産党が幾ら頑張ってもこの話を「なかったこと」には出来まい。そういうセコい真似をするより「習近平だって人間なのだからこういう間違いだってある」と開き直っていた方がまだマシだったかもしれないがもう手遅れだ。「消せば増える」と言うネットの法則は支那でも同様なのだろうが、支那共産党はそれを理解しているのだろうか?

これでも支那は「G20会議は大成功だった」等と吹聴するのだろう。外から見ればとてもじゃないがそうとは言えない内容だが、支那の「言論統制」とはそういうものなのであろう。それが果たして「まとも」と言えるのだろうか?「言論の自由」のもと安倍首相を批判ばかりしている連中にはこういう支那の事例を見て自身の「言論の自由」を安倍首相がしっかりと保障しているありがたみを感じて貰いたいものである。仮に日本がが支那同様の共産主義国家であったならば間違ってもそういう事は言えず、言ったところで投稿は削除され、当局に監視される事になるのだから。