政治家は「シン・ゴジラ」の自衛隊出動にマジレスしている場合ではない。

イメージ 1
※政治家のセンセイ方も観ているそうだが、何か悟れたのだろうか?

平成以降の「ゴジラ」シリーズでは最大のヒットとなった「シン・ゴジラゴジラ」と言う想定外の緊急事態に対して緊急災害対策本部の設置、都知事からの治安出動による有害鳥獣駆除要請、初の防衛出動、無制限の武器使用許可…と言った驚くほどリアルに物語が展開される。

この映画の製作に協力もした枝野幸男など、この映画について言及する政治家のセンセイ方もいる。
イメージ 2
イメージ 3
http://www.sankei.com/entertainments/news/160910/ent1609100018-n1.html


イメージ 4
※物議を醸した石破元防衛相の「シン・ゴジラ」の感想…

その中でも色々な意味で話題を呼んだのは石破茂元防衛相であろう。自身のブログ

《何故ゴジラの襲来に対して自衛隊に防衛出動が下令されるのか、どうにも理解が出来ませんでした。いくらゴジラが圧倒的な破壊力を有していても、あくまで天変地異的な現象なのであって、「国または国に準ずる組織による我が国に対する急迫不正の武力攻撃」ではないのですから、害獣駆除として災害派遣で対処するのが法的には妥当なはずなのですが、「災害派遣では武器の使用も武力の行使も出来ない」というのが主な反論の論拠のようです。「警察力をもってしては対応困難な場合」に適用される「治安出動」ではどうなのか、という論点もありそうです。」》

と感想を述べたのだ。そしてこれが物議を醸した。
イメージ 8
イメージ 9
※少なくともマジレスしている場合ではない。
イメージ 5
※この時点でも警察の手に負える代物でないのは明らかだ。

作中でも最初は害獣駆除案件として殺処分で対処しようとするが、大田区が蹂躙された時点で警察の手に負える代物でないと言う判断自衛隊に出動要請がされる。しかし、

「防衛出動はどうか?」

「いや防衛出動は外部からの侵略があった場合で武力行使の対象は国や国に順ずる組織だからできないだろ」


「では災害派遣はどうか?」

「それでは火器使用はできない」


「では治安出動はどうか?」

「治安出動では正当防衛など自分の身に危険が生じない限り火器使用はできない」

…と言う議論があり,災害派遣や治安出動ではゴジラに対して有効な攻撃はできない、つまり現状の法体系では十分な対処はできない、と言う結論に達し、最終的に「超法規的措置」と断りつきで自衛隊に「対ゴジラ戦」での防衛出動が命令される…と言う流れになる。しかし、自衛隊は「ゴジラ出現」を実際にシミュレートしていたらしく、「対ゴジラ」では災害出動、かつゴジラに対しては「有害鳥獣駆除」名目での武器使用は法的に可能、と結論しているそうだ。

イメージ 6
自衛隊が想定していても自衛隊を動かす政治が働かなくては意味がない。

…と、なると石破元防衛相の言い分は基本的には正しい事になる。また枝野幸男も同様に

「“鳥獣駆除”だから自衛権行使や防衛出動ではない。現行憲法集団的自衛権を認めない従来解釈でも直ちに自衛隊が対応できる」

と述べているのだが、そこは「映画」である。リアリティの追求の中にでも少しくらい「フィクション」があっても良いし、この映画自体が「有事や想定外の緊急事態に対する対応の問題点」の提起をテーマにしているのであれば相手が「ゴジラだからこそ」「超法規的措置での防衛出動」が成り立つ、とも言えるのである。それだけゴジラが映画配給元の東宝にとって「特別な存在」だからでもあろう。
イメージ 7
ゴジラもまたある意味では「日本」であると言える。

東日本大震災やそれに伴う福島第一原発事故、また支那による尖閣諸島への侵略行為、北朝鮮の核…「日本の平和と安全」が揺らいでいる事から目を背ける事は許されない。それら「日本の平和と安全」を揺るがす要素の「象徴」としてゴジラは今回「復活」したのだと言えるだろう。問題は政治家のセンセイ方がこの映画を見て現実の「日本の平和と安全」の為に何をすべきか悟っているか否かである。少なくとも自衛隊の出動形態にマジレスを入れている場合ではない事は間違いない。シン・ゴジラ」を観た政治家のセンセイ方には映画の悲劇を現実にしない為にキチンとした「仕事」をして頂きたいものである。それもセンセイ方が国民から受けた付託の一つなのだから。
イメージ 10
※映画の悲劇を現実にしない為にも政治家のセンセイ方には「良い仕事」をして頂きたい。