贖罪意識の生まれない懲役に意味はない

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※シャバより快適なムショなんてナンセンス

犯罪を犯し、有罪判決を受けて懲役刑に処せられた者がその「懲役」の一環として行う作業「刑務作業」と呼ばれるものがある。法務省によれば

「刑法に規定された懲役刑の内容であるとともに,受刑者の矯正及び社会復帰を図るための重要な処遇方策の一つ、受刑者に規則正しい勤労生活を送らせることにより,その心身の健康を維持し,勤労意欲を養成し,共同生活における自己の役割・責任を自覚させ助長するとともに,職業的知識及び技能を付与することにより,円滑な社会復帰を促進することを目的としている。」

との建前だが、その実態は建前と大きく乖離したものらしい。
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※刑務作業で作られた製品が商品になる事もある。それは否定されるべきではないが…

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161017-00010000-nishinp-soci

労働基準法では、1日8時間を超えて労働させてはならないと規定しているが、刑務作業も同様なのだと言う。そのせいなのか、法務省によると実際の作業は運動時間などを引いて1日7時間程度とされ、その上週に2、3回は入浴で1時間以上短縮されるのだと言う。

また、日本労働組合総連合会の調査では、正規労働者の1日の平均労働時間は8・9時間

「刑務所は社会からはほど遠い」(刑務所関係者)

と言う。そんな実態の刑務作業で受刑者は職業的な知識や技能は身に付けられるかも知れないが、「円滑な社会復帰を促進」出来ると言うのだろうか?既に出所者を雇う企業から

「労働に耐えられる集中力がない」

などの意見が寄せられ、法務省は「1日8時間労働」を試験的に導入したのだと言うが…

それどころかある受刑者は

「土日祝日も休み。短い労働時間の中に休憩もたくさんあって、とても良心的な環境だ」

と、コメントしている。何か勘違いしていないか?懲役刑は「お役所仕事」ではないのだが…

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※受刑者の1日。シャバのサラリーマンより楽チン。

そもそも刑務作業に従事している時点でその当人は「犯罪を犯し、有罪判決が確定しているから刑務所にいる」のであって、懲役の一環として刑務作業に従事するのはそれを通じて本人が犯した罪を償う為である。こんな状況でそういう「贖罪意識」が生まれるとは到底思えない。しかもこれならシャバで「ブラック企業」に就職するよりよっぽど条件が良い。生活に困って犯罪に手を染めてムショ行きを狙う輩が出る訳だ。累犯も多い訳だ。
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※この数字を減らすどんな努力を日弁連はしたのか?

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※「罪と罰」が逆転しては本末転倒。

先日日弁連「死刑廃止宣言」を愚かにも採択した。死刑の代替刑に「仮釈放ナシの終身刑無期懲役の仮釈放開始を20~25年とする」などと提案しているが、現在の懲役刑における刑務作業のこの現状で、それらの刑で犯罪者がどう「贖罪意識を自覚する」と言うのか?死刑廃止」だとか、「刑務所は受刑者の矯正及び社会復帰を図るための教育を行う場所」とか言う前にこう言った現状で「受刑者の贖罪意識をどう生成させるのか?」と言う点を問題視するべきであり、その方が「受刑者の人権」よりよっぽど重要であるのは論を待たない。刑務所は学校でも勤労場所でもない。あくまで「国家が犯罪者に罪を償わせる場所」である。贖罪意識が生まれない懲役に何の意味があると言うのか?受刑者を奴隷の如く扱え、とまでは言わないが、「懲役は罰」と言う大前提を覆す考え方はナンセンスでしかない。
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※ここまでしろとは流石に言えないが…
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※こういう意識を受刑者に持たせる事が重要であるのは論を待たない。

「適切な働きかけをすれば人は変わり得る」のであれば日弁連再犯率を0に近付けるどんな努力をしたのか?また成果が出ていないのはどういう理由なのか?是非ともその理由を聞いてみたいものだが、受刑者の人権を重視して刑務所を快適な環境にして「また戻ってくればいいや」的な感覚にさせてしまうのでは本末転倒でしかない。日弁連にはそういう理解はないのか?日弁連の様な組織にそういう精神を求めるのは野暮なのかも知れないが、せめて法務省には「罰」としての原点に立ち戻って受刑者に「贖罪意識」を持たせる「懲役刑」の在り方を考えて貰いたいものである。
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※ムショの食事がこれでは…豪華すぎる。