オスプレイ事故を過大に歪曲する翁長雄志

イメージ 1
※それでも機体のコントロールは出来ていた…

翁長雄志の見識の矮小さがよく出ている一件であると言えそうだ。
イメージ 2
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161218-00000009-jij-pol

先日沖縄県で発生したオスプレイの事故、沖縄県は17日、今回の事故を県の統計資料上、「墜落」に分類して記載するのだと言う。一方で日本政府や米軍は「不時着」と表現。両者の認識の違いが浮き彫りになっている。

また米海軍安全センターは、この事故を被害の大きさに基づく分類で、最も重大な「クラスA」の事故に当たると判断、事故機は尾翼やローターが機体から外れ、大破した状態で、しかも乗員2人が負傷して病院に運ばれ、他3人も軽傷を負ったが「不幸中の幸い」で死者は出なかった。

航空機やヘリの事故で「墜落」なのか「不時着」なのかを分ける基準は

パイロットが機体をコントロール出来ていたか否か」

らしい。今回のオスプレイの事故ではパイロットは自身の判断で住宅地への被害発生を回避した。そして事故発生当時、事故機にはまだそうするだけの機能とパイロットがそう判断する余地が十分にあった訳だ。それ故に米軍は「不時着」と判断したのであり、事故を矮小化しようとするものでは断じてない、と言って良い。それ故日本政府もこれを追認、稲田防衛相も

パイロットの意志で着水したと捉えている。コントロールを失った墜落ではない」

としている。
イメージ 3
※こういう意味不明な妄言を吐くたわけのたわ言だ。

一方の翁長雄志

「機体が大破しており、墜落だ」

との認識だが、「墜落」と「不時着」は先述した様に

パイロットが機体をコントロール出来ていたか否か」

で判断が分かれるのであって、被害の大小は全く関係ない。翁長雄志は言葉の意味を知らないのか、または意図的に事実を歪曲して事故を過大に騒ぎ立てているかのどちらかであろう。どちらにしても「知事として相応しい言動でない」事だけは確かである。

沖縄県は1972年に日本に復帰してから県内で発生した米軍機事故の統計を取っていると言う。これまでに「墜落」は46件なのだそうだが、それらは全て米軍がそう発表した事に基づくものだった。にも関わらずオスプレイの時に限って米軍は「不時着」と判断したのに「墜落」扱いとは明らかにオスプレイに対する偏見だとしか受け取り様がない。勝手な脳内変換は世間に迷惑をかける結果しか生まないが、翁長雄志にそういう判断をする脳味噌はないのだろう。そしてそれは沖縄県民に迷惑をかけまいしたパイロットの気持ちを踏みにじるものでしかない。…人として恥ずかしいと共に情けない限りである。
イメージ 4
※コレが沖縄で起こらない事を望む。

「人面獣心の外道」とはまさにこの事であり、コイツらの存在こそが沖縄の癌である。こういう連中の排除こそが沖縄の平和への第一歩ではないのか?翁長雄志が知事である限り、沖縄に安泰はないのかも知れない。
イメージ 5
翁長雄志には手痛いしっぺ返しが待っているだろう。