「寛容」と「和解」がカギだった安倍首相の真珠湾訪問

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※「寛容」と「和解」を強調する事に意味がある。

安倍首相による真珠湾訪問、そして慰霊が実現した。29日の新聞各紙は一面で大きく報じ、様々な論調での論評が出ている。

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http://www.sankei.com/smp/politics/news/161229/plt1612290007-s1.html

安倍首相は第一次政権の際には戦後レジームからの脱却」というスローガンを掲げた。だが幾ら日本が独立国だからと言ってもそれは「自国の内政問題」と言う範疇だけでは簡単に片付かない問題でもあるのだろう。第二次政権以降、安倍首相の外交の積極性が際立つのはその目標に向かって「外堀から埋めていく」と言う意味合いもあるのかもしれない。
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※素晴らしい光景だ。

記事が指摘する様に米議会演説、70年談話、そして真珠湾での今回の演説と、キーワードになったのは「寛容」と「和解」だった。

安倍首相はこの二つの言葉を強調する事でかつて激しい戦争を繰り広げた日米が現在では強固な同盟関係にある、その事実こそが「戦後レジームからの脱却の象徴」であるとしている、とも言えるだろう。勿論支那朝鮮風情にはそのどちらも欠けている。その意味では米国議会演説、70年談話、真珠湾演説と、いずれも支那朝鮮でさえ表立って反論出来ない領域で密かに毒を吐いているとも言える名演説である。安倍首相の演説を習近平が聞いていたのかは定かではないが、聞いていれば怒りに小さくプルプル震えていたかもしれない。そう思うと安倍首相の演説は心地よいものがある。
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真珠湾攻撃を体験した元兵士達のコメントを見れば安倍首相が正しいのは明らか。

今回の安倍首相の演説では「反省」と言う語句はなかった。勿論直接的に「謝罪」と受け取れる表現もなかった。米国議会演説や70年談話で積み重ねてきたものを目の当たりにすれば最早それすら必要ない、と言う領域にまで達したとも言える。式典に招かれていた真珠湾攻撃を体験した元兵士達のコメントを見ればそれで正解である事は一目瞭然だ。「それ以上何を言わんや」である。

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※左翼ども、これに対して何か言うことある?

これを目の当たりにしてもまだ

「安倍は戦争をしたがっている」

等と出鱈目妄言を吐く連中がいるのであればそいつは安倍首相をどうこう言う前に自身の文章読解力のなさを自覚するべきであろう。そもそも「戦争をしたがっている」のであれば「法の支配」「力による現状変更に反対」等とは間違っても口にはしない。戦争とはそれらを真っ向から否定するものだからだ。現在の支那を見ればそれは明らかであろう。

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※安倍首相のそういう思いを理解出来ないのは阿呆でしかない。

安倍首相の真珠湾訪問はあらゆる意味で「大成功だった」と言えるだろう。少なくとも支那朝鮮以外の「世界」からは共感を得られたであろう。「理解出来ない」のではなく、「理解しようともしない」支那朝鮮なんぞは最早論外、蚊帳の外で構わない。連中は口を開く前に「寛容」と「和解」の意味を学んでからにしろ、と言うことでもあろう。安倍首相の外交が成果を上げるほど支那朝鮮はその異常性が際立ち、自らが惨めな思いをするだけである。それを自覚すればこれらの連中の異常な反日姿勢も自ずと消え去るのかもしれないが、そういう「知性」を連中に求めるのは野暮かも知れないが、いずれにしても安倍首相は間違いなく「日本を良い方向に持っていってくれている」のである。「安倍首相」であることに感謝したい。
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※安倍首相の演説全文