『帝国の慰安婦』裁判、当たり前の主張が稀有になる怪

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※起訴自体が「不当」だった。

『帝国の慰安婦なる本を執筆し、その内容が名誉毀損に該当する」として「刑事告訴」されていた韓国・世宗大学の朴裕河教授に対する裁判所の判決は『無罪』だった。

同書では

「旧日本軍による強制動員はなかった」

と、韓国で信じられている

慰安婦は強制連行された『性奴隷』」

と言う嘘出鱈目と一線を画した内容が著述されているのだが、これに噛み付いたのが自称元慰安婦とその支援者で、

「自発的慰安婦

「売春」

「同志的関係」

と言う表現を名誉毀損だ」として刑事告訴したのである。
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※無罪判決に落ち込む自称元慰安婦

だが、裁判所も認めた様にこの『帝国の慰安婦』は

「『日韓両国の相互信頼の構築を通じた和解』という目的で」

著述されたものである。勿論朴裕河氏なりに自身で史料に目を通したり、他の研究者の研究も参考にしただろう。そういう「学術的研究」を刑事事件として処理する事自体「前時代的」な蛮行でしかなく、それが罷り通る韓国、と言う国がどうかしているのだが、朴裕河氏が「無罪」判決なのは常識的に考えれば「当然」である。

朴裕河氏の様に客観的に所謂慰安婦問題を検証したり、そんな彼女に無罪判決を出す裁判官が居るだけ「韓国でもまだ救いがある」と、言うべきか?それとも「わざわざそう書かなくてはならない」時点で「既に終わっている」のかは微妙だが、この「韓国経済新聞」の以下の社説の様にその「当たり前の事」を「当たり前」に書くメディアは韓国では稀有な部類であろう。
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※もっとも「国民情緒法」に基づいたこういう判決も出ている。
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170127-00000021-cnippou-kr
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※とは言え、裁判所の判断も割れている。

そもそも『帝国の慰安婦』は慰安婦

帝国主義国家主義に動員された被害者」

と、している。そこには首をかしげたくもなるが、韓国ではその辺りが「落とし処」だったのかも知れない。しかし韓国検察は全体の脈絡に目を向けず前後の文脈は無視し、特定のキーワードだけを浮き彫りにして起訴したのだと言うから呆れてしまう。まぁ、韓国の検察は朴槿恵名誉毀損で強引に起訴した産経新聞の加藤前ソウル支局長の裁判で「悪意を立証する」と称して「2ちゃんねる」の書き込みを証拠として提出するレベルだ。言葉の前後を切り取って意味を歪曲するなど朝飯前だろう。「日米韓の知識人が声明まで出して強く懸念した」のも当然であろう。韓国検察は加藤氏の裁判から何も学んでいなかった様だ。
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※その記述は間違ってはいない。

…その他この社説では

《この判決が国内で近来あまり見られない理性的な判決》

《学問的著述を司法審判の対象としたことから適切でなかった。》

《社会の主流や多数の見解とは違うという理由で禁止して処罰すれば全体主義と変わらない。》

《歴史的な真実は徹底的に検証して立証されなければいけない問題であり、多数決で決めることはできない。》

《この本を問題にするには学問的な反論と論証で臨まなければならない。》

等と日本では「当然」の、韓国では「稀有な」主張が続く。概ねその通りであり、寧ろ韓国経済新聞が「親日」と叩かれたりはしないか?とさえ思える程だが、最後の一節

《今回の判決が感性の方へ向かってきた慰安婦問題を理性的な討論の場に戻すきっかけになることを期待する。》

だが、少なくとも韓国人の殆どは所謂慰安婦問題について「感性の方へ向かってきた」のではなく、「感性の方から動かなかった」だけでしかない。更に「理性的な討論の場」で所謂慰安婦問題が討論される事など韓国では到底期待できないだろう。その為には国民情緒法」等という悪しき習慣を根絶しない事には始まらない。惜しむらくはその点か。こういう社説を読む限り「韓国経済新聞」は韓国メディアでは「まとも」だと言えそうだが、その路線で行くならいずれ「国民情緒法」との対峙は必至であろう。その時どういう主張をするのか?「韓国経済新聞」の真価がそこで問われる事になる。
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※そりゃそうだろ。だが、その判決は韓国が『首の皮1枚つながった』だけでしかない。