この期に及んで「憲法9条死守」と言う共産党の偽善

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※「闘争本部」って…?

共産党が安倍首相が「憲法9条に自衛隊の存在を明記」と提案した事に対抗して

憲法9条改悪阻止闘争本部」

なるものを設置し、志位和夫自ら「本部長」に就任した。

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※読売、産経、朝日の各調査結果。

読売新聞の調査では安倍首相の提案に53%が賛成した、と言う。(反対35%)産経新聞の調査でも55.4%が賛成している。(反対36%)護憲派朝日新聞の調査でさえ、賛成41%反対44%と反対が上回っているものの、賛成も4割を越え、反対とほぼ拮抗する結果になっている。具体的な文言や表現等の問題はあるにしても安倍首相の提案それ自体は政府がキチンと国民に「その意義と必要性」を明確にし、かつ「国民の懸念を払拭出来る」説明が出来れば国民の理解は得られる可能性は十分にあると言えるだろう。それが出来て漸く「スタートライン」に到達出来る、と言ったところか。

それでも共産党は「憲法9条死守」と言うのが方針らしい。それなら憲法9条でどの様に日本の安全保障を担保するのか」具体的に言って貰いたいものだが、「話し合いで解決」と具体性がない。それが可能なら是非とも共産党には北朝鮮の核やミサイル開発を「共産党の言う『話し合い』」で止めて貰いたいものだ。やってみれば自分達の言っている事が通用するかどうか、否応なく理解は出来るだろう。求められるのは「口先だけの詭弁より行動」である。

…それ以前に共産党が「憲法9条死守」を掲げるのは自由かも知れないが、憲法9条改悪阻止闘争本部」と言うネーミングは如何なものか?「闘」にも「争」にも「戦う」と言う意味が含まれている。勿論それは「話し合いではない実力行使」と言う意味だが、「話し合いで平和的解決」を志向する立場の人間が使う言葉ではないのは明白だ。こういう所からも「共産党の偽善」は明らかである。

…とは言え、「闘争」と言う言葉を辞書で調べてみると

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※「闘争」を辞書で調べると…

と、言った解説を見る事が出来る。「闘争」と言う言葉には文字通りの「戦う」「争う」と言う意味の他に

「権利を得る(又は守る)為、争う」

と言う意味もある。この場合は例えば「賃上げ闘争」の様に必ずしも「戦う」と言う意味の「実力行使」を含むとは限らない恐らく共産党も「その意味で」「闘争」と言う語句を使っているのだろう。だが、それでも「闘争」と言う言葉には

直接的に相手を否定する

自己の目標達成を阻害するとか自己の感情と相いれないとか,自己にとってなんらかの妨げとなる(もしくは妨げになると思われる)、他の主体それ自体を排除したり他の主体の行為を妨害し停止させるという意図のもとで,相互に両極的な形をとって対立しあう相互作用形態

と言う意味もある。安倍首相が進めようとしているのは「改憲議論」だが、言うまでもなく「議論」とは「話し合い」がその大前提である。「議論の場」で「暴力行為等の実力行使」に出ればそれは最早「議論」ではない。つまり「話し合い」で物事を進めようとする「改憲派」と「その主張を認めず」その主張を「排除」「妨害」「阻止」すべく憲法9条改悪阻止闘争本部」と名乗る組織を立ち上げた共産党、と言う構図である。そういう事なら憲法9条改正阻止」と言う大義名分を掲げて「実力で」改憲を阻止する行動に出るかも知れない。何せ志位和夫

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※コレが本性。

と、堂々と答える程だ。その「革命」の本質は

「合法的に存在している政権を武力で倒して自分達が成り代わる」

事だ。結果的に「成功」したから「革命」と呼ばれるだけで失敗すればそれは「内乱」でしかない。物事を「話し合いで平和的に解決」する事を唱える人間が何故「革命」と言う「暴力行為」に「血が騒ぐ」のか?…答えとしては

「『表面上の平和主義』を唱える『偽善者』だから」

だとしか思えない。

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と言うのは「真理」である。

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※意外にも民進党より共産党支持者の方が「憲法自衛隊」を肯定している。


それより志位和夫は自分の足元をよく見た方が良いだろう。産経新聞の調査では安倍首相の提案した「憲法9条に自衛隊の存在を明記」する提案に「賛成」する「共産党支持層」が3割にも達している。共産党支持層ですら「憲法9条死守」で「一枚岩」になれていない、とも受け取れる。声高に「憲法9条死守」を叫ぶのは勝手だが、そんな事をしている間に安倍首相の提案に対する理解が広まって支持層がバラバラになる結果にもなりかねない。

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※現状のままで良いのか?それを考えるべく一度はご覧になる事をお奨めしたい。

昨年話題になった映画「シン・ゴジラ」。そのリアリティある描写が話題になったが、ゴジラ出現に「現行法による対応の限界」を露呈し、政府が右往左往する姿は映画ならまだしも、現実に起こって貰っても困るのは我々国民である。多くの政治家のセンセイもこの映画を観たそうだが、政治家として何も感じなかったのだろうか?「これではマズイ」と思うのなら、どうすれば良いか?を考えて行動するべきだ。安倍首相が折角機会を作ってくれたのだ。活かさない手はない。逆に何も感じなかったのであれば政治家として存在意義すらない。政治家に求められるのは「国家国民の利益」の為に何をするか?である。それが考えられないなら政治に関わる資格はない。安全保障問題で求められるのは「日本及び日本国民の安全の為に何をするか?」である。憲法9条死守」がその答えだと言うなら先ずは支那北朝鮮の何が「日本が信頼すべき『信義と公正』」とは何か?を明確にする事から始まる。共産党はそれにどう答えるのだろうか?それが答えられないなら「護憲」の旗はそこで終わる。そこに共産党はどんな答えを持ってくるのか?見物である。
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※所詮は「偽善」でしかない。