誤った歴史認識への加担を拒否した小池百合子

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※コレは評価するべき。

都知事就任以来、批判される事も多い小池百合子だが、こういう事は「評価」しても良いのではないだろうか?

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「9月1日に行われる関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を断った」

と言うのだ。この「都知事による追悼文送付」は例年、市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請し、歴代知事は応じてきたのだと言う。1970年代からの慣習らしいのだが、少なくとも2006年以降、石原慎太郎猪瀬直樹舛添要一、そして小池百合子も昨年は送付していたらしいが、今年になって方針を転換し、

「今後、他の団体から要請があっても出さない」都建設局公園緑地部

とまで言っているようだ。

その理由だが、今年3月の都議会一般質問で、古賀俊昭議員(自民)が、碑文にある「六千余名」という数字を「根拠が希薄」とした上で、追悼式の案内状にも

「『六千余名、虐殺』の文言がある」

と指摘し、

「知事が歴史をゆがめる行為に加担することになりかねず、追悼の辞の発信を再考すべきだ」

と求めた。これに対し、小池百合子

「追悼文は毎年、慣例的に送付してきた。今後については私自身がよく目を通した上で適切に判断する」

と答弁しており、都側はこの質疑が「方針を見直すきっかけの一つになった」と認めているとの事。また、都側は虐殺者数について「六千人が正しいのか、正しくないのか特定できないというのが都の立場」としている。
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※「虐殺があった」と言うなら当然その「証拠」が必要だ。

東京新聞は問題の「関東大震災時の朝鮮人虐殺事件」を

関東大震災が発生すると、「朝鮮人が暴動を起こした」などのデマが広がった。あおられた民衆がつくった「自警団」などの手により、多数の朝鮮人や中国人らが虐殺された。通行人の検問が各地で行われ、殺害には刃物や竹やりなどが用いられた。》

と、解説している。コレだけを読めば

関東大震災発生直後の混乱の中で『朝鮮人が暴動を起こした』と言う『デマ』を信じた日本人が『自警団』を作って朝鮮人(や支那人)を殺害した」

と、読めるが、肝心の

関東大震災発生直後の混乱に乗じて朝鮮人が暴動を起こしたのか否か?」

と言う点に関して言うなら

「そういう事実は『あった』」

と言うのが事実だ。
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※「噂」を信じる「相当の理由」があったのだ。

上記記事は1923年10月23日付の東京時事新報のものだが、記事を一読して明らかな様に朝鮮人が大震災発生による混乱のドサクサで

「掠奪」「放火」「婦女暴行」「発砲」「強盗未遂」「強姦殺人死体遺棄」「鈍器で襲撃」「橋梁破壊未遂」

と言った凶悪犯罪を多数発生させていた事は否定のしようがない。勿論朝鮮人全員がそうした訳ではないが、当時は現在の様にネットやTV、ラジオが在るわけではなく、災害発生時の情報の収集が困難である事を考えれば「一部の朝鮮人が起こした災害発生のドサクサでの犯罪行為」を過大に捉えてしまうのは致し方無い部分もある。しかもこの記事で触れている様に「10月22日まで」政府の情報統制のせいで、新聞も真実を伝える事が出来なかった。そういう状況下では「自分の身は自分で守る」しかなくなる。その結果、司法省の調査では233人、朝鮮総督府官憲調査では832人の朝鮮人が日本人自警団に殺害された。(その他に少なくとも日本人58人、支那人3人が殺害されている。)

新聞記事や国家機関の調査結果資料、と言ったものから判断するならこの事件は「虐殺」と言う程の内容とは言えず、せいぜい「自警団の過剰防衛」だと判断出来る。また問題の墨田区横網町公園朝鮮人犠牲者追悼碑には

「あやまった策動と流言蜚語のため六千余名にのぼる朝鮮人尊い生命を奪われた」

と刻まれているとの事だが、「6000人」と言う数字が「何処から出てきたのか?」は謎のままである。この追悼碑は1973年に「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会」が設置したものだそうだが、1923年の在日朝鮮人は80415人で翌年には118152人に「増えている」のである。それらの事からも「虐殺があった」とは言えまい。追悼式の主催者は不満を言う前に「6000人虐殺」の客観的な証拠を提示すべきなのは言うまでもない。
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小池百合子の判断に文句があるなら「6000人虐殺」の立証をするべき。

「6000人虐殺」の客観的な立証が出来ないのであれば小池百合子にはこの追悼碑の文面の変更、または撤去を期待したい。「誤った歴史認識を正す」のも都知事として行うべき事なのだから。
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横網公園にある慰霊碑。「6000人虐殺」が立証出来ないのであれば文面の変更は当然だ。