希望の党落選者の座談会
先の総選挙では民進党前職は希望の党、立憲民主党、無所属に分かれて選挙戦を戦ったが、結果は上記の画像の通り、希望の党から出馬した候補が最も苦戦した。この機会に国政から「排除」すべきだった立憲民主党からの候補は全員当選と、真逆の結果になった訳だが、実際に候補者の立場から見たこの選挙戦はどうだったのか?希望の党から出馬して落選した民進党系候補による「座談会」が行われていた。
「民進党の主張が何故国民に『そっぽを向かれたか』」
判っていない様だ。
「「民進党の主張と看板では選挙戦を戦えない」
と言う意味である。
《民進党のままで戦っていれば当選できただろうなと正直思っています。》
と、宮崎岳志は言うが、それなら何故合流に反対しなかったのか?
と、その前の総選挙で無所属候補に投じられた票が2つに割れただけ、と見る事も出来る。この中には政権批判票も当然あるだろうが、「反自民・反共産」と言う層が「仕方なく」宮崎岳志に投票した、と言う事も有り得なくもない。実際にそういう人がどれだけいたかは不明だが
「勝てるだけの地盤」
を築けていたのだろうか?
櫛渕万里は
と言うが、「政権交代」と言うのはあくまでも「過程」であって「目標」であってはならない。政権交代して与党となったらどうするのか?民進党単独でも共産党と共闘してもそれは「何時まで経っても明確にならない」。実際この座談会でもそういうビジョンは見えない。また、そういう状況下で民主党政権を誕生させてしまった経験から国民も「安易な政権交代」は望んでいないし、そういうリスクももう冒さない。彼等はそこから何も学んでいない様にしか思えない。政権交代は「あれば良い」と言うものではなく、与党の政策に対して野党がそれ以上の対案を出す、そしてそれを受けて与党は更なる対案を出し…と言う切磋琢磨が大前提だが、野党の何処にそれがあると言うのだろうか?宮崎岳志は
と言ったが、つまりは民主党政権から何も学んでいない、と言う事だ。勝てないのも当然であろう。
要は政権を交代させる、という改革の力を結集させる党が必要とされていた、また右でも左でもなく寛容な中道の政党を作るという希望の党の理念は間違ってなかった、としてもそれは民進党の流れを汲む人間ではない、と言うのが民意だった、と言う事である。それを理解しない状態で何を言った所で
「負け犬の遠吠え」
以上にはならない。彼等が本気で国政に返り咲こう、と言うなら次の総選挙までに明確なビジョンを携えて、有権者に「変わり身」を見せる必要があるが、果たしてそれが出来るかどうか?
希望の党の失速の真の原因、と言うのはまさに
「民進党と言う毒物を飲み込んだ」
事に尽きるだろう。100億円を越える政党交付金が目当てだった、とも考えられなくもないが、小池百合子は結果的に100億円よりもっと大きな痛手を受けたとも言える。目先のカネに目が眩んで大局を見失うのでは底が知れている。そういう所まで有権者は見抜いていたのではないだろうか?小池百合子も候補者も有権者をナメ過ぎていた。そのツケがこの選挙結果だった、と言う事も出来るであろう。