希望の党はもう死んでいる
※この程度の器で代表になってしまう程人材がいないのが希望の党の現実。
これは衝撃、と言うより「笑撃」と言うべきか。
※2ヶ月でこの凋落ぶり。
「支持率1%」
※原因の一つではあるが間違いではない。
原因は色々考えられる。例えば小池百合子の「排除」発言を挙げる事が出来るだろう。だが、「排除」発言は小池百合子のオリジナル、と言う訳ではなく、96年の民主党結成の際も「排除の論理」として民主党に合流しようとした一部の政治家を拒否している。しかもこの言葉、その年の流行語大賞まで受賞しているのだが、96年に言い出した鳩山由紀夫ならいいが、その21年後に小池百合子が言うのはダメだと言う事なのか?そもそも政党と言うのは一定の方向性を持った集団である。その組織としての方向性に沿わない人間がそうなるのは必然であり、そうする事が非難される筋合いなど本来はない。マスゴミ共による「印象操作の結果」だと言えるだろう。
だからと言って小池百合子に責任がない、と言う事にはならない。本人の言動が希望の党の失速に繋がった事は否定出来まい。政争を煽るだけ煽って肝心の場面で居ないと言う姿勢を改めなければ政治家とそて先はない。「都政に専念する」と言うなら有言実行しないと信頼を回復する事など出来ないだろう。…尤も「しなくても良い」のだが。
小池百合子以上に「希望の党を絶望の党」に変貌させたのは総選挙後の代表選挙だろう。「玉木雄一郎VS大串博志」と言う構図もそうだが、争点が「憲法改正や安保法への是非」と、民進党伝統の「お家騒動」を看板を掛け変えてまで繰り広げただけでしかなかった。その上どっちが勝とうが「希望の党の理念」など二の次の「名称ロンダリングした民進党」が出来上がるだけだったのは明らかで、国民目線で見れば
「希望の党はもう死んでいる」
※言われた当人はその意味に気付かないのが「お約束」。
しかし、こうなったのも元を正せば小池百合子が民進党からの合流を受け入れてしまったからだ。それは「自ら不治の病を求める」に等しい愚行だった訳だが、民進党がそういう行動に出たのは「自分達の看板ではもはや選挙戦を戦えないから」だったのは自明の事で、「知らなかった」「予測できなかった」で済む話ではない。こうなる位ならまだ「民進党」の看板で戦った方が後々の事を考えれば賢明だったかも知れない。ここから玉木雄一郎をアタマに希望の党が劇的に党勢を回復するとは到底思えない。このまま支持率の低空飛行が続き、次の総選挙直前で「このままでは選挙戦を戦えない」と再び民進党出身議員の離党ラッシュ、新党結成となり、希望の党は消滅する事になるだろう。それでも「希望」を見出だせるのであろうか?
※民進党出身議員にそれは出来ない。
要するに「希望の党はその役割を既に終えている」と、言う事だ。それなら有為な人材が居たとしてもそういう人物に代表を務めさせて党勢回復を図る必要もない。玉木雄一郎程度でも「後始末」なら十分お釣りは来る筈だ。「民進党と言う政界の癌」はこの様に他党に転移していくのである。その存在こそ「政治の究極の無駄」である。この悪循環を断ち切るには「民進党出身」議員を悉く落選させるよりない。国民が「まっとうな政治」を望むのであれば現状では与党より野党にメスを入れる方が先である。「ここから」が重要だと言えるであろう。
※それを行うのは有権者の役目。