加藤清正を歪める韓国人

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※日本では評価の高い加藤清正だが韓国ではそうではない。

安土桃山時代の武将、加藤清正と言えば当時稀代の築城の名手であり、熊本城はじめ、名古屋城名護屋城江戸城の築城にも関わっている。特に熊本城は築城から250年以上後の近代戦にも耐え、熊本地震でも彼の手による建造物で難を逃れたものがあった事は記憶に新しい。

熊本では「清正公さん(せいしょこさん)」と言う愛称で呼ばれ、今でも親しまれていると言う。農業行政での実積が高く評価されている為だそうだ。武勇ばかりでなく「良き殿様」でもあったのだ。また地震加藤」のエピソードに示される様に(半分は作り話らしいが)、豊臣家への忠義に厚かった事も間違いない。

この様に日本では評価の高い武将として認識されている加藤清正だが、韓国人による「歴史歪曲」の標的にされている様なのだ。
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※有名な「虎退治」だが史実ではない。

朝鮮出兵において加藤清正文禄の役で朝鮮の王子二人を捕虜にすると言う戦功を挙げたり、朝鮮領を越えて明領にまで攻め込んでいる。そのせいか当時の朝鮮の民衆から「鬼(幽霊)上官」と恐れられたそうで、それが現代の韓国人にも受け継がれているのか「嫌われている」と言う所までは理解出来なくもないが、だからと言って歴史を歪曲して良い、なんて事はない。
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※第一次蔚山城の戦いの様子。

慶長の役での加藤清正の有名な戦いに「蔚山城の戦い」と言うのがある。これは当時日本軍が朝鮮半島で拠点となる城を築城していた所、完成前に明・朝鮮連合軍に攻め込まれ、日本軍が食糧や水が不足した中での籠城戦を強いられた戦いである。(正確には第一次蔚山城の戦い)その古戦場は現在公園となっているそうなのだが、日本人観光客を誘致しようとここに加藤清正銅像を建てよう、と言うのだ。だが問題は

「(攻城軍を率いた朝鮮の将軍)権慄と明の将軍楊鎬は騎馬像で蔚山市倭城に進撃する姿であり、加藤清正は島山(トサン)城戦闘で城内に孤立されて水と食糧不足で苦しめられている姿」

なのだと言うから完全にバカにしている、と言うか脳味噌の何処を通ったらそんな銅像で「日本人観光客を誘致出来る」と言う発想になるのだろうか?やはり韓国人の思考回路はどうかしているとしか思えない。

先述した様に第一次蔚山城の戦いでは築城途中に攻め込まれ、食糧や水が不足している中での籠城戦を強いられたのは事実だ。しかも籠城した日本軍約1万に対し、攻め込んだ明・朝鮮連合軍は約6万近くもの大軍だったのだと言う。しかし戦いはそれでも城外からの援軍が来るまで日本軍は持ちこたえ、結果的には明・朝鮮連合軍に少なくとも1万、史料にもよるが多くて2万以上の損害を与える大勝利を収めている。どう考えてもこの戦いで殊勲ものなのは加藤清正なのだが、韓国人はここでも歴史を正しく認識出来ない様だ。

しかも「騎馬像で進撃する」姿で製作されると言う権慄と楊鎬だが、実は権慄は朝鮮出兵において日本軍相手に連戦連敗を重ねた記録しか残っていない。それでも当時の朝鮮王には信任されていたらしいのだが、記録を参照する限りそんな姿で銅像になるのが相応しくないのは間違いないだろう。また、楊鎬は大敗を喫したこの「第一次蔚山城の戦い」の結果を明皇帝に「戦勝」と真逆の嘘報告を行い、それがバレて皇帝の怒りを買って将軍を解任された様な人物だった。楊鎬は朝鮮人ではなく明人だが、それでもそんな人物を銅像にする意味があるのだろうか?
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※籠城戦を戦う武士の心境。

結局のところ、韓国人の「加藤清正憎し」と言う感情ありきで歴史的事実を歪めているとしか思えない。確かに

「食糧や水が不足している状態で1万の軍勢をどう持ちこたえさせるか?」

と言う事を当時加藤清正が悩んでいた可能性は高いのだろうが、それを一兵卒にまで悟られる様な真似はしなかった可能性もまた「高い」のではないだろうか?

結局は

「韓国人は日本人をまるで理解していない」

のである。勿論反日」に凝り固まったアタマしか持っていないからなのだが、韓国人が自らを変えない限り「日本」はおろか「歴史」を正しく理解する事は出来ない、と言う意味でもある。果てしなく憐れむよりない。
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※韓国人はそんなもん。