目糞鼻糞の「立憲民主vs国民民主」

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※目糞鼻糞の対立…

国民民主と立憲民主の対立が尖鋭化している模様だ。
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立憲民主が支持率が1%程度と低迷する国民民主を「消えてなくなる運命だ」と突き放せば国民民主は立憲民主を「偏った野党では政権に近づけない。ずっと野党でいる気ならどうぞ」と皮肉る。低次元の争い、と言われればそこまでだが、民進党分裂の経緯を考えれば「和解」など最早有り得ない、と言えるだろう。

だが、そもそも「政党」とは共通の政治理念を実現する為の手段であって、選挙で当選する為のツールではないし、政局を演出する為のものでもない。その様にしか機能していない両者共に

「政党としての存在意義からして間違っている」

のである。政治理念や政策の是非以前の問題である。こういうのを

「目糞が鼻糞を笑う」

と言う。

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※最後に笑うのは安倍首相。

記事も指摘しているが、来年には参議院選挙がある。前回の参議院選挙では野党は1人区に統一候補を立てて対抗したが、それでも勝率は3割程度でしかなかった。それにも関わらず来年の参議院選挙に向けた候補者調整は目処が立たず、複数区では両者候補を擁立すると言うのだからこのままでは幾ら「もりかけ」で騒いだ所で「野党共倒」になる公算が非常に高い。結局「漁夫の利」は自民党に転がり込んで来る、と言う事を理解していないのか?そういう所からも国民民主、立憲民主の「政治センスのなさ」は否応なく伝わってくる。

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※どちらもその意味を判っていない。

この「元民進」の野党内での主導権争いなどどちらが勝とうが国民の大半には関係がない。所詮は「お山の大将」争いでしかないし、枝野幸男にしろ、玉木雄一郎にしろ、大塚耕平にしろ、安倍首相を上回る器量がないのは既に明白である。何が悲しくて総理大臣の「格を下げる」必要があるのだろうか?「野党共闘」「政権交代」等と言う前に己の器量を上げて政府与党の法案を論破したり、それを上回る対案を出せる様になる事が先決である。物事の順序も理解しない分際で大層な事は言うものではない。

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「完璧な人間」など存在しない。安倍首相も例外ではない。安倍首相が幾ら「国家国民の為」の政策を行った所でそれを評価しない人間は必ず出てくる。「安倍政権への不満」を一掃するなど不可能である。結局国民民主も立憲民主も「そういう人達の不満の捌け口」としてしか機能しないのが現状であろう。だが実際には「その役目」すら十分に果たせていない。だから自力で支持率が伸びない。「敵失」頼みにしかならないのだ。だから「もりかけ」に拘るのか。

要するにどちらも「存在意義がない」と言う点では変わりない。所詮は「永田町のお荷物」「政界の産業廃棄物」でしかないのだ。両者共に滅びるのが「最善の結末」である。