慰安婦印象操作を継続すると宣言したに等しい朝日新聞



朝日新聞本社前で要望書を示すケント氏と山岡氏。

朝日新聞電子版の英文サイトでは未だに「慰安婦強制連行・性奴隷説」と受け取れる表現がされている、としてケント・ギルバート氏や豪州で慰安婦問題に取り組んでいる山岡鉄秀氏が朝日新聞に対し、修正を申し入れたのだが、朝日新聞は見事にこの要望を拒否した。

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朝日新聞の言い分は以下の通りである。


朝日新聞の主張は基本的には河野談話に依っているが、第一次安倍内閣の時点で
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と、「強制連行の直接の証拠はない」と「閣議決定」されている。河野談話の実効性は例え河野談話が「政府見解」に匹敵するものと認めるとしてもこの時点で消滅した、と言っても過言ではない。だが、朝日新聞は回答の中でこの事実を無視している。何処が

記事を書くたびに、国内外のさまざまな立場の意見や歴史研究の蓄積なども考慮》

なのだろうか?河野談話は作成段階で韓国政府の干渉があった事は検証で明らかになっている。また聞き取り段階で杜撰な材料しかなかった事も明らかになっている。そんな代物を根拠にする意味さえ最早「ない」。

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※そう言えば朝日新聞はこの発言を報道しなかったな。

また、朝日新聞が無視する「事実」として
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1944年にビルマにあった日本軍慰安所で米軍が捕虜とした慰安婦からの聞き取り調書、米国で公文書となっているものだが、そこには

慰安婦は戦時売春婦」

と結論付けられている。同時に慰安婦の実態が「性奴隷」から程遠いものであった事も明確に判る内容だが、朝日新聞はこういう「事実」に対してどう反証したのだろうか?

慰安婦が「募集」されていた「証拠」なら多数ある。

また、慰安婦が「募集」されていた事を示す史料は多数存在する。「募集」に応じて慰安婦となった女性がどうして

forced to provide sex(性行為を強制された)」

となるのだろうか?要望を拒否した以上、朝日新聞はこれらに対する合理的な反証が求められる。

慰安婦問題は謝罪も賠償も不要の案件。

また、第三者的立場のアメリカの最高裁でさえ、2006年2月に日本政府の主張を全面的に認める形で判決を出している。

「謝罪も賠償も不要」

だと。また

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※15年かけてアメリカ政府が調査しても何も出て来なかった。

アメリカ政府は15年かけて日本軍の戦争犯罪を調査したが、朝日新聞が言う様な「慰安婦強制連行・性奴隷」説を裏付ける証拠は皆無だった。朝日新聞であっても「思想信条の自由」「表現の自由」「言論の自由」「報道の自由」は最大限尊重されるべきだが、

forced to provide sex(性行為を強制された)」

と、言う以上、それなりの根拠は明示して然るべきであろう。…それが朝日新聞に出来るなら、の話だが。

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朝日新聞は「ビジネス」でそういう嘘出鱈目を流布しているのだろう。何かを「忖度」して。

また、

forced to provide sex」

という表現について、

《英語ネイティブスピーカーが読めば、「軍隊による物理的な強制で性行為を強いられた」という印象を受けると指摘されていますが、当該表現は「意に反して性行為をさせられた」という意味》

だと朝日新聞は言う。もっともこの時代、軍人相手の売春は「公娼」として合法であった。それ故に非合法な手段を用いる理由が最初からないのである。

とは言え、「白馬事件」の様な事件があったのも事実だ。だがこの事件、最初に事態に気付いて解決に動いたのは日本軍であって連合国ではない。「自浄」に動けたのも「最初から強制的に慰安婦を調達する方針でなかった」裏返しではないのか?「点」だけでなく、「その背景」も見ないと真実を把握出来ない事もある。朝日新聞も一応は「報道機関」を名乗っているのだからそれ位は知っていて当然であろう。まさか、知っていて隠蔽しているのではあるまいな?朝日新聞だけにそれ位はやりかねない。

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朝日新聞の回答は「想定内」だろう。勿論これで終わるとは思えない。

いずれにしても

「事実を受け入れ、過去の誤りを世界に向けて自ら正す」

意思は皆無だと宣言したに等しい回答であった事に変わりはない。要望書を出したケント氏や山岡氏もそれ位は承知の上だろう。要望書を持って行って朝日新聞の姿勢が変わるなら慰安婦問題は最初からこうはなっていない。朝日新聞の回答が彼等の「想定内」なのはほぼ確実だろう。彼等は近く朝日新聞の回答に対する見解を公表する、との事だが、恐らくその「次の一手」で朝日新聞を少しずつ追い込んでいくつもりなのだろう。例えばこの件での公開討論を申し込む、とか。その手腕に期待したい所である。彼等の幸運と成功を祈りたい。