不可解なオウム死刑囚死刑執行反対声明


※コレでオウム事件での死刑囚の死刑執行は完了した。

昨日オウム事件で死刑が確定していたものの、未執行だった6人の死刑を執行した。これで一連のオウム事件で有罪が確定した者の全ての「刑の執行」が完了し、オウム事件は法的手続きは全て終わった事になる。

とは言え、これで「全てが終わった」訳ではない。未だにその被害に苦しんでいる人がいる。亡くなった被害者は帰って来る事はないし、また遺族の方々の心の傷が癒える訳でもない。「一つの区切り」にはなっても「終わり」ではないのである。

そんな中、「オウム真理教被害対策弁護団」が声明を出し、死刑執行を非難しているのだが、その声明、実に「異様」な内容であった。


※難しい判断ではあるが、よくぞ決断してくれた、と言いたい。

オウム事件で死刑が確定した13人の内、既に7人は7月6日に執行されていた。死刑囚はそういう情報を塀の中であっても容易に知る事は出来る。「同一事件での死刑執行は同時」と言う原則があるので昨日執行された6人は「次は自分」だと考えるのは当然であろう。「その日」が何時なのか?判らないまま過ごす日々は相当のストレスを伴う。人権云々言うのであれば死刑囚と言えどそういう状態を続ける訳にもいくまい。

また「タイミング」についてはオウム関連の裁判が全て終わっているので他の被告人の証人として出廷させる事もない。死刑が確定してからも「冤罪の可能性」はチェックされるものの、オウム事件での死刑囚に関しては「冤罪の可能性」はないと言えるだろう。「再審請求」していた死刑囚もいた様だが、確定判決を覆せるだけの証拠がなければ認められる可能性は極めて低い。従って「執行を止める理由」にはならない。執行を止める理由がない、と言う事だ。

だが、「オウム真理教被害対策弁護団」は

「一連の事件の調査や総括の為には麻原以外の死刑執行をするべきではなかった」

と、言う。実に異様な主張である、としか言い様はない。

裁判で明らかになった真実は数多くあるが、「オウム事件の全容解明」は「最初から不可能」である。実行犯と教祖だった麻原を繋ぐ役目だった村井秀夫が刺殺されてしまった為だ。それを知らない「被害対策弁護団」ではないだろう。そもそも「被害対策弁護団」は真相究明や総括の為に「何をしてきた」のだろうか?自分達は何もせず、国にその全責任を転嫁して非難するのは筋が通らない話だ。

また、死刑執行反対、と言う意見が日弁連の掲げる「死刑廃止論」に通じる、と言うのであればこの声明は大きな問題を孕んでいる事になる。「死刑廃止論」に基づくのであれば理由を問わず誰であれ死刑に反対しなくてはならない筈だ。麻原の死刑を容認している時点で矛盾を抱えている。

立場の違いがあるとは言え、同一事件で同一の罪であるなら法の適用も同一でなくてはならない。指示した麻原と実行犯、と言う違いはあっても「共同正犯」で両方死刑、であるなら片方の死刑は容認し、もう一方の死刑に反対、と言うのはどう考えてもおかしい。つまり「死刑になっても良い人間」と「そうでない人間」がいると言っているに等しい。それは「差別」を意味する。また、理由はどうであれ、麻原の死刑を容認するのは

「加害者の人権に幾ら配慮しても『死刑廃止論者の主張』でも救えない犯罪行為は存在する」

と言う意味でもある。その「線引き」を何処でするのか?と言う問題は残るが少なくとも麻原彰晃のした事は「その一線」を越えていた事だけは間違いない。そして同様の犯罪抑止の為にも死刑制度は必要なのである。


※当人しか知らない事はあるものの、残された記録から再発防止策は作れるだろう。