小沢一郎の二枚舌


玉城デニーは利用されているだけなのか?

本日告示される沖縄知事選、争点に

普天間基地辺野古への移設」

が挙げられるのは必至であろう。だが、事ここに及んで

小沢一郎の別荘」

がクローズアップされている。


小沢一郎の別荘は辺野古基地予定地の近くである。

ここで週刊新潮が取り上げている「小沢一郎の別荘」は辺野古基地予定地から僅か9kmしか離れていない。辺野古への基地移設に反対する「影の理由」の一つとして

小沢一郎の別荘が近くにあるから」

と言う噂話は耳にした事もあるが、小沢一郎がこの土地を購入したのは


2005年11月と、かなり以前の事になる。

本人は

「政治家を引退した後の為」

と、言っているそうだ。
イメージ 3
※航空写真はこんな感じ。

小沢一郎でなくても政治家が正当に得た報酬で土地を購入し、別荘を建てるのは問題なかろう。だが、小沢一郎のこの別荘を今になって週刊新潮が取り上げるのにはそれなりに「疑惑」があるからである。

それは

「基地移設によって地域の地価が上がる」

と言う予測に端を発する。

イメージ 4
※一個人の別荘としては破格の広さだ。

現在の辺野古の人口は2千人程だと言う。基地が移設されると米軍関係者2千人程の人口増が見込まれると言う。単純に倍増だ。そうなると

「地元経済活性化→地価上昇」

と言う流れは見込める、と言うのは理解出来る。だが、そこで

「流石小沢一郎、先見の明がある」

なんて納得している場合ではない。何せ購入したのは2005年11月の話だ。この時点での「普天間基地移設問題」の状況を考えると

「とんでもない疑い」

も出てくるのである。

イメージ 5
※土地購入のタイミングが出来すぎている?

小沢一郎が土地を購入した2005年11月の時点では当時の沖縄県知事

「15年限定」

を表明、当時の名護市長も

「地域振興策とセット」

と言う条件を出していた。アメリカ側はこれを拒否し、交渉の末

辺野古へのV字滑走路」

と言う現行案で決着したのは2006年5月の事であった。小沢一郎の別荘用地購入直前には

「L字滑走路案」

が出されている。つまり「辺野古への基地移設」の具体案が出て来た直後のタイミングだった訳だ。ここで記事が指摘する様に

辺野古移設に関して『国会議員、それも野党とは言え、大物議員の立場で』知り得る」

情報、例えば日米間の交渉の内容や見通しなどが考えられるが、それらを承知でこの場所を購入していたのだとしたら…?
イメージ 6
インサイダー取引の典型例。

証券取引で内部情報を知り得る者がそれを利用して取引を行う事は「インサイダー取引」として検挙される対象になる。インサイダー取引は証券取引が対象で、不動産取引には適用されないが、

「基地移設問題の決着を知って公表前に土地購入に動いていた」

のであればインサイダー取引と構図は殆ど変わらない事にもなりかねない。

移設問題にまつわる情報を得られる立場の国会議員が、米軍基地に近い土地を買うことについて、

「政治家としての資質を問われかねない行為だと思います」(政治アナリストの伊藤惇夫氏)》

と、週刊新潮が言うのはこういう事である。

小沢一郎自身は無罪ではあったが、小沢一郎政治団体である「陸山会」の事件でも

マネーロンダリングそのもの、と言われた陸山会事件での資金の流れ。

この様な資金の流れが「マネーロンダリング」そのものの手法だとも言われた。小沢一郎が違法行為スレスレで物事を行うのは何に付けても変わらない様だ。

小沢一郎はこの土地を

「引退後に自身で使用する」

為購入した、と言うが、当初は「転売目的」が噂されたそうだ。また、週刊新潮が言う様に

「米軍幹部への賃貸」

だとすれば

「基地移設反対」

を掲げる自由党の方針と矛盾する。基地移設反対なら米軍関係者の移動を見込んでの

「米軍幹部への賃貸、と言う『投機目的』での購入」

なんて話は最初から出てこない筈だ。これらの事からこの件での小沢一郎

「基地移設実現なら米軍幹部に貸して『個人として『実』を得』、基地移設を阻止出来たら『政治家として『名』を得る』」

と言う狙いがあるのでは?と言う疑いを否定出来なくなる。まこと悪どいやり口だが、小沢一郎だけに「有り得る」話だとも言える。
イメージ 7
※そりゃ昔から、なんだが。

こういうのを世間では

「二枚舌」

と言うのだろうが、そんな小沢一郎を「師」と仰ぐ玉城デニー小沢一郎の何を信じているのだろうか?週刊新潮の指摘通りなら玉城デニー沖縄県知事となって辺野古への基地移設を奇跡的に阻止しようがしまいが、また、知事選に落選して玉城デニーが全てを失っても小沢一郎にとっては「名実どちらか」が手に入る事に変わりはない。総合的には痛くも痒くもないのである。

そういう「強かさ」が小沢一郎の強み、と言ってしまえばある意味ではその通りなのだが、政治家としての「倫理」からすれば大いに疑問が湧く。小沢一郎に「清廉潔白」を求めるのは最初から野暮なのだろうが、こういうのをのさばらせておくだけで日本の政治の質は悪化する。所詮は彼は

「政治家ではなく『政治屋』」

でしかない。その違いを見極めると共に、そんなのが推す候補を落選させる必要があるのは言うまでもない。沖縄県知事に「政治屋やその腰巾着は要らない」のである。沖縄県民の賢明な判断を望むばかりである。