対案なき捕鯨反対論に意味はない



国際捕鯨委員会IWC)総会で日本が目指した商業捕鯨再開は否決されたそうだ。総会後、日本はIWC脱退を示唆する発言もあったと言う。
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記事によれば日本は「商業捕鯨再開」を提案するにあたって「科学的データ」を提示し、反捕鯨国への配慮も制度改革とセットで提案したにも関わらず

「建設的な対案が示されなかった」

と言う。つまり「反捕鯨」は「結論ありき」でしかなく、一種の「宗教的観念」の様なものと化している。そもそも「捕鯨」に絡めた日本批判など

反日活動の一環」

でしかない。そんなのを正面から説得するなど愚の骨頂、IWCを脱退して捕鯨対象になる鯨の「種の保存」が出来たり、生態系に影響を与えない範囲で捕鯨が成り立つのであればそうした方が良いのではないのか?「結論ありき」「宗教的観念での価値観の押し付け」なんかに「科学的根拠」や「事実」が負けてはならない。日本は実践してそれを示すべきでもある。

日本で捕鯨は相当以前から行われてきた。「民族の伝統」として捕鯨を認められている民族もあるそうだが、ならば日本に認めない、と言うのは「差別」でしかない。そういう前提の「国際ルール」と言う偽善に付き合う理由もない。

不肖筆者は個人的に鯨を積極的に食べる訳ではないが、食べる事もある。日本国内で需要と供給のバランスが取れていてかつ「生態系に影響を与えない」「種の保存と両立出来る」のであれば捕鯨は差し支えない、と思っている。科学的な根拠で反対出来ないなら尚更であろう。

要するにこの問題、日本国内での「反原発」「憲法9条改正絶対反対」とある意味「同じ性質」なのである。原発も再稼働しているものもあれば安保法制も国会で成立し、運用されている。そういう

「意味不明の反対論」

を黙らせるには「実践で証明」が最善である。後は日本政府にそうする器量があるかどうかだ。さて、どうするのやら?